孤独な介護1~「理想の長女」を演じてきた

ネロリ

こんにちは、Uターン主婦のネロリです。
ご訪問いただき、ありがとうございます。

今日は、空模様同様、わたしもどんよりした気分で過ごしてしまいました。

わたしの部屋は、母の寝室の隣で、引き戸で行き来できるようになっています。
今は、誰も寝ていない空のベッドや、母が浴室で使っていたシャワーベンチなどが、
そのまま置いてあります。

母が入っているホームの契約は、とりあえず2月末までだったのですが、
そのままお願いすることになりました。

母の認知症の症状がかなり進んでいて、自宅介護は限界ということもありますが、
オミクロン株がここまで拡大している状況では、
自宅にいるよりホームにいる方が安心というのが一番です。
わたしもまだ体調がすぐれず、母を介護するのは難しい状況ですし。

親の介護で、これほどメンタルがやられるとは、自分でも思っていませんでした。
母の認知症が急激に悪化した昨年の12月ごろから、わたしも感情の昂ぶりがひどくなり、
夜、ベッドの中で一人で泣いていたかと思うと、
反対に、まったく感情が失せてしまったりしました。
周りに大勢の人がいても、ただただ「孤独」でした。

今から振り返ると、あの頃のわたしはかなり挙動不審というか、
自分の感情をコントロールできない状況だったと思います。
でも、当時は、そんな自分の状態に気づいていませんでした。
周りの心配をよそに、自分の殻に閉じこもっていました。

離れて暮らしている妹にさえ、弱音を吐くことはなかったのですが、
あるとき、ついに電話しながら号泣してしまいました。
妹はとても心配し、勧められてメンタルクリニックに行きました。

「あなたがお辛いのは、お母様の介護を一生けん命してきたからです。
 今までよく頑張りましたね。あなたに今必要なのは、休養ですよ」

お医者様にそう言われ、
カチカチに強張っていた自分の心の殻が、ポロポロと剥がれていくようでした。
ただ涙が止まりませんでした。

母の介護に関して、わたしは「自分でやらなければ!」と勝手に思い込んでいました。
もちろん、ケアマネさんや、訪問看護師さん、理学療法士さんなど、
多くの人が関わってくださっていましたし、相談に乗ってもらっていたのですが、
弱音を吐いたり、「しんどい」「辛い」ということが言えませんでした。

母のわたしへの当たりがキツいのを見かねたケアマネさんが
「大丈夫? 辛かったら言ってくださいね」と心配してくださった時も
「もう、いつものことですから」と笑ってこたえました。

親孝行でしっかり者の長女、真面目で責任感がある人、と周囲に思われてきて、
自分でも、そういう人間を演じてきたので、
「母の介護が辛い」と言えなかったのかもしれません。

15年前に父が亡くなってからのわたしは、母の保護者でした。
母も、「やっぱりネロリじゃないと」「ネロリはしっかりしてるから任せるわ」
と事あるごとにわたしに頼ってきました。

本当のわたしは、面倒くさがりで、飽きっぽくて、だらしない人間なのに、
母にとっての「理想の長女」でありたいと勝手に思っていたのでしょうね。

母の介護は、母と自分との関係をあぶりだされたような、そんな気がしています。

母を施設に入所させたことに関して
「介護を投げ出した」「親の介護もまともにできない」「介護に挫折した」
そんな風に自分を責めてしまう部分がないとはいえません

夫の母は、認知症ではありませんでしたが、94歳まで一人暮らしを続け、
その後、自ら進んで老人ホームに入りました。
とても平和な介護だったと思います。
夫の妹は、「やれるだけやったので、悔いはない」と言っています。

わたしも、いつか、そんな風に思える日がくるのでしょうか。
空っぽになった母の部屋を眺めながら、そんなことを思った1日でした。

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昨年12月。リハビリがてらよく散歩しました。これが施設入所前の最後の写真。

お読みいただき、ありがとうございました。
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