父のルーツを訪ねる旅〜その2

ネロリ

Uターン主婦のネロリです。
ご訪問いただき、ありがとうございます。

佐賀への旅行2日目です。
今回の旅の目的は、父方の本家のお墓に行くことと、
父の一家が戦後すぐに住んでいた家を訪ねること、
そして父の母校を訪ねることです。

伯母の同級生がいつも利用しているタクシーの運転手さんに頼み、
貸切ジャンボタクシーで1日案内してもらいました。

末妹と合流

まずは、福岡から日帰り参加の末妹を、JR嬉野温泉駅に迎えに行きました。
末妹は相変わらず元気いっぱいで、やっぱり若いっていいなあと思いました。

まだ現役バリバリで、人当たりがとてもいいので、久しぶりの伯母や従弟、
初対面の伯母のお友だちともにこやかに接してくれて、助かります。

末妹と合流したあと、いよいよ父や伯母が住んでいた鹿島市へ。
最初に、同行している伯母のお友だちを、ご実家にお連れしました。

今はお兄様ご一家が住んでいるとのことですが、
20年ぶりの帰郷のため、周りがすっかり変わってしまい、
お友だちも実家の場所がわかりません。
電話をすると、姪御さんが自転車で迎えにきてくださり、家まで先導してくれました。

実家の周りが変わってしまったことにショックを受けていたお友だちでしたが、
ご実家前では、お兄様夫婦や妹さん、ご近所の方も出迎えてくれて、ようやく笑顔になりました。

ご先祖様のお墓へ

伯母のお友だちをご実家に送り届けたあと、父方の本家のお墓があるお寺に向かいました。
わたしも従弟も、佐賀は初めて。

唯一、佐賀に住んでいたことのある伯母が、昭和40年に伯父や祖父母と共にお墓参りに来たのが最後。
昭和40年といえば58年前。わたしが6歳の頃です。
果たして本当にお墓があるのでしょうか。

伯母はお寺の名前もはっきり覚えていなかったのですが、
今回同行した伯母のお友だちに地名を言ったら
「そこにあるお寺は、⚪︎⚪︎寺だけよ」と教えてくれたそう。
運転手さんに「ここですよ」と言われ、車を降りると、確かにお寺の本堂とお墓が。

本堂の前に来ると、伯母が「ここだわ!」と昔の写真を出しました。
色褪せた写真には、確かに同じ本堂が写っています。
と、そこにちょうど、住職さんらしき方が出ていらっしゃいました。

事情を話すと、「ああ、⚪︎⚪︎家のお墓はこちらですよ」と案内してくださいました。
60年前に祖父の従弟である本家の方が、バラバラになっていた古いお墓をまとめたそうで、
立派なお墓が建っていました。

墓誌を見ると、一番古い元号が安永2年でした。1772年、江戸時代ですね。
そして、高輪にある実家のお墓の一番古いご先祖様の名前もありました。
ああ、ここが父のルーツなんだなとしみじみ。

本家筋の親戚も、皆、東京に出てしまって、今お墓を守っているのは
大分にいる遠縁の方だそうです。
お墓にお参りしたあと、本堂にも入れていただきました。
本堂には位牌堂もあり、位牌も見ることができました。

そして、住職さんが、お寺のすぐ近くに父の一家が戦後すぐに住んでいた家の跡があると
教えてくださいました。
祖父は軍人でしたが、本家筋は代々病院を営んでおり、そこも病院だったとか。
入院施設もあったそうで、かなり広い敷地でした。

建物はすでにありませんでしたが、家の基礎や井戸、石碑などが残っていました。
空襲で家が焼けてしまった父の一家は、台湾から引き揚げてきてしばらく、
親戚を頼ってこの敷地内に小さな家を建てて暮らしていたそうです。

病院のあった広い土地は、今は住む人がいないということで、親戚が鹿島市に寄付したそうです。
お墓をまとめた方は、わたしが唯一知っている本家筋の親戚で、北区滝野川で開業医をしていました。
両親に連れられ、小さい頃お邪魔したことがありますが、今はお付き合いもありません。

お布施を納め、お礼を言って、お寺を後にしました。
遠いご先祖様のお墓参りができて、父も喜んでいると思います。
帰り道、伯母の同級生のご実家の造り酒屋に寄り、ジミ夫にお土産のお酒を買いました。

祐徳稲荷神社へ

その後、鹿島市の祐徳稲荷神社にお参り。
京都の清水寺を思わせる社殿。華やかな建物に驚きました。

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手前が楼門。右奥の清水寺のような建物が本殿。エレベーターでも行けます。

奥の院は本殿のそのまた上の山頂にあり、鳥居がずらりと並ぶ中を登ります。
住吉大社のような感じです。

さすがの伯母も足元が危ないため、わたしと従弟が代表して奥の院にお参りすることに。
末妹は家族旅行で来たことがあるとのことで、伯母のお相手。助かりました。

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祐徳稲荷神社の奥の院への道。

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途中から石段もなくなり、ほぼ登山でした。
坂道ウォーキングで足を鍛えていたので、大丈夫でしたが、
ダイエット前の体重だったら、かなりキツかったかも。

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片道20分ほどで頂上へ。奥の院からは遠くに有明海も望めます。
正直、上りより下りの方が大変でした。健脚向きです。

ランチはちゃんぽん

お昼は、昔からあるという割烹料理のお店に行きました。
宿の仲居さんに言ったら「鹿島で知らない人はいない」お店だそうです(笑)。

ここも伯母の同級生の嫁ぎ先でした。
同級生の方はかなり前にお亡くなりですが、甥御さんご夫婦がお店を切り盛りされていました。
どこへ行ってもご挨拶(汗)。

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ご馳走続きだったので、お昼はちゃんぽん。
長崎だけでなく、佐賀もちゃんぽんが有名だそうです。
お野菜たっぷりで、美味しくいただきました。

父の母校へ

お昼の後は、伯母のお友だちを迎えに行き、午後は、いよいよ父の母校である県立鹿島高校へ。
伯母たちの母校である鹿島高等女学校は、戦後県立鹿島高校と統合されたため、
父と伯母は、別の学校ながら同窓生となったそうです。

ただ、家が近かったため、伯母は父の一家のことを知っていたとか。
伯母の実家も台湾からの引き揚げ者でしたが、当時の家はもうないそうです。

鹿島高校は、元が藩校だったということで、赤門が有名です。
校地は旧鹿島鍋島藩の鹿島城跡ということで、赤門は当時の城門だそうです。

高校時代の話は、父からも時々聞いていました。
父も赤門をくぐって毎日登校したのだなあと、末妹と二人で門をくぐってみました。

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赤門。「佐賀県立鹿島高等学校」という古い木の札が下がっています。
数年前、また別の県立高校と統合され「佐賀県立鹿島高等学校赤門学舎」というらしいです。


女学校もすぐ側にあったそうで、伯母やお友だちから当時の話を色々と聞きました。
男子学生と女子学生は歩く道も、別々に決められていたそうです。
「この道は、わたしたちは歩いちゃいけなかったのよ」と笑っていました。
弁論部に所属していた父は、女子学生になかなかの人気だったそうです。
本当かなあ(笑)。

密度の濃い1日を過ごし、宿に戻ったのは3時過ぎでした。
宿泊したのは創業100年の老舗旅館・大正屋だったので、
末妹が「ぜひ大正屋に行ってみたい」と一緒にやってきました。

お部屋を見たり、売店で嬉野のお土産を買ったりして、妹も大満足。
「今度は泊まりたい」と言って、帰って行きました。

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大正屋は、大正14年に創業した嬉野温泉を代表する温泉旅館です。
建物は皇居新宮殿の基本設計も手がけた建築家・吉村順三氏の設計とのこと。
伯母の同窓生の方が、わざわざお庭の見えるお部屋をとってくださいました。

2日目の夜は宴会もなく(笑)、伯母とお友だち、従弟、わたしの4人で夕食。
伯母もお友だちも思い出に浸ることができ、
わたしと従弟も、それぞれの父や母のルーツを尋ねることができて大満足。
楽しい夜となりました。(続く)



【昨日の良かったこと3つ】
⚪︎予約なしでインフルエンザの予防接種を受けられた。
⚪︎伯母からお礼の電話があった。
⚪︎土地の分筆登記の手続き、いよいよ最終段階。

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昨日の歩数:20402歩(13.3km)
1日の消費カロリー:2059キロカロリー
睡眠時間:7時間32分

昨日は、予定外の予防接種だったので、
朝のウォーキングのみで30分フィットネスはお休み。
その代わり、買い物でかなり歩いたため2万歩超え。
東京は本当に歩く街だなあ。

睡眠時間が7時間超えは、かなり久しぶり。
よく眠れるとうれしいですね。

運動も、あまりキツすぎず、ほどほどの方が良いようなので、
少しやり方を変えてみようかなと思案中。

本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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