Uターン主婦のネロリです。
ご訪問いただき、ありがとうございます。
プロフィール画像を作らなくちゃならなくて、面倒くさいからとりあえず
一番最近に撮った梅の写真にしました。
ネロリなのに、梅(笑)。
まあいいか。
ネロリの花って地味だしね。
当分はこれでいこうと思います。
さて、昨年、わたしたち夫婦は、30年近く住み慣れた茨城県から
実家のある東京に引っ越してきました。
我が家が東京にUターンした一番の理由は、
86歳の母の介護のためです。
父が70代で亡くなった後、母は都内の実家でずっと一人暮らしをしていました。
7~8年前頃から物忘れが多くなったものの、病院に行きたがらず、
4年前に内科の主治医の勧めでようやく専門医を受診。
アルツハイマー型認知症と診断され、要介護2の認定を受けました。
父が亡くなってから、月に1~2度泊りがけで実家に顔を出してはいましたが、
要介護認定を受けてからは、毎週実家に通う生活が始まりました。
認知症と診断された頃は、すでに中等症と言われ、
母は瞬く間に衰えてしまいました。
2年前、主治医の先生から
「一人暮らしはそろそろ限界なので施設入所を考えた方がいい」
と言われました。
母は「私はまだまだ一人で大丈夫」と胸を張っていましたが(汗)
わたしも、茨城から東京に通う遠距離介護生活に疲れ果てていました。
そして、三つのプランを考えました。
プラン1:母を引き取って、茨城の自宅で同居。
プラン2:わたしが実家で母と同居。(夫婦別居)
プラン3:夫婦で東京へ行き、私の実家で同居。
プラン1は、一番簡単ですが、そうすると実家が空家になってしまいます。
築60年近い実家。
人に貸すにしても、かなりのリフォームが必要となり、
母の介護にかける費用がなくなってしまいます。
プラン2は、夫婦別居はイヤなので(主に夫が<笑)、却下。
プラン3は、茨城の自宅をどうするかが問題。
そして、段差が多く、浴室やトイレの狭い、古い狭小住宅で、
はたして介護できるのか、という問題があります。
そして、わたしたち夫婦が選んだのは、茨城の自宅を処分し、
東京の実家を建て替えて、母の介護をするという道でした。
もちろん、それは簡単なことではなく、
将来相続で揉めないように、二人の妹に了解を取らなければなりません。
70代の夫が家を建てるということで、資金面もあります。
妹たちは、それぞれ長男に嫁ぎ、自宅を持っていたので、
話はスムーズに進み、資金面も何とか目途が経ちました。
ただ、このプランの実現のためには、
○実家を片づけて解体する。
○建て替えの期間(半年)、認知症の母をどこかで借り住まいさせる。
○茨城の自宅の処分。
という問題もありました。
特に、母の仮住まいをどうするかは、かなり悩みました。
母が東京から離れたくないというので、実家の近くにマンションを借りて
母と二人で仮住まいしようとも考えて、探してみました。
ただ、家賃のあまりの高さと、マンション暮らしをしたことのない母なので
色々と難しいのではないかというケアマネさんの助言もあり、
年に何度も泊まりに来ていて、勝手を知っている私の自宅で
仮住まいすることになりました。
さて、Uターンを決めた理由は、他にもあります。
○母がこれから暮らしていくうえで、自分の地元の方がいいだろうということ。
○夫とわたしは長男長女夫婦で、それぞれ都内にあるお墓を守らなければならないこと。
○わたしが免許を持っていないため、将来のことを考えたら、
公共交通機関が発達している東京の方が、暮らしやすいだろうということ。
実家を建て替える話が出てから、解体まで10か月くらい、
家が建つまでは、そのあと半年くらいかかったでしょうか。
母の介護をしながらだったので、本当に本当に大変でした。
そして、やっと新しくなった家に引っ越してきた頃には、
母の認知症が進み、要介護3と認定されていました。
せっかく新築したのだから、
少しでも母に長く暮らしてもらいたいと願いましたが、
結局1年持たず、主治医の勧めや、妹からの説得で、
母の施設入所を決めました。
今でも、もう少しわたしがうまく対応できていたらとか、
わたしの我慢が足りなかったのでは?とか、
もっと母に優しくしてあげればよかったとか、
色々と考えてしまって、涙が出てきます。
母との日々に関しては、これからも書いて行こうと思います。
認知症の親の介護は、本当に大変です。
わたしの場合、肉体的なことはもちろんですが、
やはり精神的なことが大きかったです。
特に、母の暴言や、夜間せん妄、徘徊にはずいぶん悩まされました。
最後の頃は、夫にまで暴言を言うようになって、大変でした。
わたしはうつでメンタルクリニックに通うようになり、
最終的には、九州にいる妹がケアマネさんと相談し、
施設を探してくれました。
母のためにと戻ってきた東京で、
突然、お役御免で放り出された感覚でした。
しばらく体調不良で何もできませんでしたが、
最近ようやく元気になってきました。
母も、新しい場所で元気にやっているようです。
オミクロンのせいで、面会はできませんが、
荷物を届けに行った折りなどに、話を聞くことができます。
わたしも、まだまだ完全とは言えませんが、
ブログを書いてみようかなという気持ちになってきました。
10年後のわたし(生きていればですが)が、この記事を読んだらどう感じるでしょうか。
ああ、こんなことがあったっけ。
大変だったなあと懐かしむでしょうか。
それより、自分が、そして夫が認知症になっているかも?
この年になると、先のことをあれこれ考えてしまいます。
自分の経験から、子どもには迷惑をかけたくないと思っています。

またまた近所の梅です。お料理が苦手なので、お料理写真は永遠になさそう。
お読みいただき、ありがとうございました。
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