様々な選択の末の、東京Uターン生活

ネロリ

Uターン主婦のネロリです。
ご訪問いただき、ありがとうございます。

今日は、春のような陽気でした。
ジミ夫と中学のプール開放に行って泳いだ後、ランチをしてお散歩。
のんびりゆったりした一日でした。
温かいコーヒーを飲みながら、ありがたいなあと思いました。

今、ようやく穏やかな毎日を送っています。
こんな生活を送れるようになるまでには、本当に色々なことがありました。

ジミ夫との結婚

まずは、ジミ夫と結婚したことです。
お見合い結婚でしたが、初めて会った時から穏やかな人柄に好感を持ちました。
結婚する頃には大好きになっていました。

ジミ夫と結婚する以前にも、付き合った人はいました。
その人は実家がかなり遠方で、長男でした。
そして、いずれは地元に帰るつもりのようでした。
結婚を考えたこともありましたが、色々あって破局しました。

彼はわたしより少し前に、自分の地元の人と結婚し、Uターンしました。
おそらく今もその地元に住んでいると思います。

もし彼と結婚していたら、わたしは見ず知らずの土地で結婚生活を送り、
苦労したかもしれません。
親の介護もままならなかったと思います。
ジミ夫と結婚したおかげで、わたしは親の介護をすることができました。

Uターン生活

今、一番意外なのは、実家のある場所に暮らしていることです。

8歳年上のジミ夫とお見合い結婚する時に、
将来は自分の実家で親と同居して欲しいと言われました。
ジミ夫は長男で、妹がいるだけなので、わたしは仕方ないなと了解しました。

まだ24歳と若かったので、義理の親との同居が
どれほど大変かわかっていなかったということもあります。

わたしは三姉妹の長女なので、いずれは親を看なければという思いはありましたが、
両親からは養子を取って欲しいという話はありませんでした。
父は次男だったので、「家を継ぐ」という考えがなかったのかもしれません。

ただ、わたしは、ジミ夫と結婚するにあたって、
自分の実家とジミ夫と実家が同じ区内にあり、
車でも20分ほどという距離だったということは大きなポイントでした。

両親が高齢となった時、介護をすることができると考えたことも事実です。
お見合いということもあり、そういうところは冷静に考えました。

ジミ夫の両親とわたしの両親がひとまわり近く年が離れていたこともあり、
義両親を見送った後に自分の親の介護ができる、
通ってもいいし、引き取ることも可能だと考えました。
まあ、親の介護に関しては、年齢どおりにには行きませんでしたが。

それが、同居の失敗で、一緒に住むのは無理ということがわかり、
結局、義父母の看護と介護も茨城の家から通うことになりました。
この時に、同居がうまく行っていたら、今でもジミ夫の実家に住んでいたことでしょう。
まずはこれがひとつの分かれ道でした。

義実家の相続問題

ただ、この時点でも、ジミ夫が実家を継ぐというのは、
義父の「土地は売るな」という口頭の遺言もあり、
義母や義妹を含む家族の共通認識だったと思います。

その約10年後、ジミ夫の母が亡くなった時の遺産相続で、
なんと義妹がジミ夫が実家を相続することに不満を表明しました。

 *詳細はこちらから↓

義母かジミ夫に、土地の評価額と同じくらいの資産があればなんとかできたのですが、
もちろんそんな高額なお金はありません。

結果、家と土地を売却することになり、現金や有価証券と共に
ジミ夫と義妹で等分に分けることになりました。
ここが、もうひとつの大きな分かれ道となりました。

同じ時期に、母の認知症が進み、主治医の先生から施設入所の勧めがありました。
色々な問題行動はあったものの、まだ元気な母を施設に入所させるのは忍びなく、
茨城に引き取るか、東京で同居するか選ばなければならなくなりました。

義母の場合は、友人もおらず、子どもの側で暮らしたいということで、
自ら茨城の施設に入ることを望みましたが、
社交的でご近所に友人も多い母は、東京から離れるのを嫌がりました。

けれども、築60年近い実家に同居するなんてとても無理。
ショートステイを利用しつつ、わたしだけが実家で母の面倒をみようかと悩んでいた時に、
ジミ夫が、実家を建て替えて一緒に住もうと言ってくれたのです。
これが三つ目の分かれ道です。

実家を建て替える

その時点で、実家の建っている土地の名義は父方の伯父でした。
伯父の遺言により、伯父の死後、母に遺贈されることになっていました。

 *詳細はこちらから↓

実家を建て替えるにあたっては、母は大喜びでしたが、
将来、土地の相続での権利・利害関係が生じるであろう、
伯母(伯父の奥さん)、従弟(伯父の養子)、わたしの妹たちに、
承諾を取らなければなりませんでした。

そんな状態で、よくジミ夫も家を建て替えようと言い出したのかアレですが(汗)。
義父の遺してくれたお金で、伯父名義の土地に家を建てようというのですから。

ポジティブ?、楽観的?、考えなし?
「お義母さんと僕たちが死ぬまでだけでも、気持ちよく住めればいいじゃない」
どうやら息子に継がせようという気持ちはないようでした。

建て替えに関して、伯母と従弟はすぐに了解してくれましたが、
妹二人のうちの、横浜に住むすぐ下の妹は、少し考えさせてくれということでした。
数日後、了承の電話をもらった時は、ほっとしました。

母の介護に関して、すぐ下の妹には何度も協力を仰いだにも関わらず、
実家に行くと具合が悪くなる、母が苦手という理由で何もしてもらえませんでした。
やがて、妹は強迫性障害を発症してしまい、それどころではなくなりました。

なので、そんな妹が実家の建て替えに関して、すぐに了承してくれなかったことに、
正直、何を今更と思ったことも事実です。

今の自宅は、土地は母名義、建物はジミ夫名義になっています。
もし、母が亡くなったら、土地はわたしが相続し、
現金は二人の妹で等分に分けるということで、一応承諾を得ています。

ただ、実際に相続が発生した場合、
妹たちが絶対に土地に関する権利を主張してこないとは言えませんので
その時はまた考えなければなりません。
義妹の時の件もありますから。

義妹はもう忘れているかもしれませんが、あの時は、ちょっとびっくりしました。
でも、義妹が不満を言ってくれたおかげで、
実家を建て替えることができたのだから、感謝しています。

ジミ夫の実家の方が土地は断然広いのですが、駅からは徒歩15分。
対して、わたしの実家は駅から徒歩3分です。
交通の便も、わたしの実家の方が数倍いいのです。
その代わりめちゃくちゃ狭小住宅ですが(笑)。

でも、夫婦二人暮らしには、このくらいでいいのかなと思います。
庭がないのが少し寂しいのですが、贅沢を言っていたらキリがありません。

新築だし、狭小住宅なので、冷暖房費がかからないことを考えれば、
これでよかったと思います。
天井高で広々したジミ夫の実家は、義母が一人で暮らしていても、
光熱費が半端なくかかっていましたから。

様々な要因と選択の末、今の終の住処を得たわたしとジミ夫。
周囲の豪邸に比べると、小さな小さな家だけれど、夫婦仲良く暮らしていきたいと思います。

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今日は暖かく、梅の花も満開で、お散歩も気持ちよかったです。

ジミ夫とお見合いしたのは、お見合いに対する興味と暇つぶしでした(汗)。
当時は、仕事が面白くなってきたところで、まだ結婚する気もなかったのです。

でも、すぐ下の妹に社内で彼氏(義弟)ができ、どうやら結婚しそうだということで、
母が、長女のわたしを先に結婚させなければと焦っていたようです。

ジミ夫は32歳で、親にもうるさく言われており、かなり積極的でした。
真面目だけが取り柄で、地味で面白味はないですが、
昔も今も変わらず、穏やかで優しいお兄さんのような人です。
わたしとは正反対の性格ですが、それで上手く行ったのかもしれませんね。

本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
コメントや応援クリック、メッセージ、いつもありがとうございます。
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それでは、また・・・。

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Comments 2

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原田さよ

穏やかで優しいお兄さんのようなご主人、理想です!お二人で本当に色々な経験をされてきたのですね。
はじめの記事から欠かさず読ませてもらってきたので、自分のことのように振り返っています☺️
今までがあるから今がある。これからも、この“今”が続いていきますように。

ネロリ
ネロリ
原田さよさま

さよさま、こんばんは。
コメントありがとうございます。

ブログをはじめて1年経ったので、Uターン生活に至るまでを振り返ってみました。
ジミ夫は本当に地味な人で、話し上手でもないし、
女性にモテるタイプではまったくないのですが、
わたしのように感情のアップダウンが激しくないので、一緒にいて疲れません。
向こうはわたしに振り回されて、大変かもしれませんが(汗)。

今まで色々と迷惑をかけてきたので、これからは大切にしていこうと思います。
毎日、平穏に暮らせること、それだけでありがたいですね。