ようやく共依存から脱却した?
Uターン主婦のネロリです。
ご訪問いただき、ありがとうございます。
今日は、父のお墓に月命日のお参りに行ってきました。
お墓で写真を撮って、二人の妹にラインで送り、
母の腰痛のことも、一緒に伝えました。
妹たちからも、お礼のラインが届きました。
母の介護を一人で担ってきたこの10年あまり、
妹たちに対する感情は、とても複雑なものでした。
「なんで、わたしばかり?」とずっと思ってきました。
毎週1度、茨城から2時間かけて東京の実家に通い、
2泊して母と過ごした日々。
ジミ夫や息子には、不自由な思いをさせたかもしれませんが、
文句を言われたことは一度もありませんでした。
ただ、義母の介護もあり、わたしは本当に心の余裕がなくて、
いつもイライラしていたような気がします。
家族に負担をかけているという負い目もあり、
なぜ自分ばかりがこんな思いをするのだろうと、妹たちを恨みました。
母が施設に入所して1年、今は、妹たちへの負の感情は消えつつあります。
自分の生活が落ち着いてきて、心に余裕ができたのが一番だと思いますが、
親の介護って、当事者になってみないとその大変さはわからないということに、
ようやく気づいてきたからかもしれません。
経験者の方はお分かりだと思いますが、認知症の親は、
介護者の前で見せる顔と、それ以外の家族や、外で見せる顔が全然違ったりしますから。
諦めとは違うかもしれませんが、妹たちに悪気があるわけではなく、
わたしも、母の状況や、自分の思いを伝える努力が欠けていたのかなと思います。
長女だから、わたしが頑張らないとと、思い込んでいたのかもしれません。
施設に入れるなんてとんでもない。
母が寝たきりになるまでは、自分で面倒を見るのだと決めていました。
そんなわたしを見て、母の主治医の先生は、
「お母様は、あなたに面倒を見てもらうより、施設に入った方が幸せよ」
とおっしゃいました。
その時は、なんて酷いことを言うのだろうと怒りが湧きましたが、
今思えば、先生は、わたしと母が共依存状態にあると見抜いていたのです。
わたしは、カウンセリングを受けるようになり、
カウンセラーの先生からも、もっと自分を大切にするようにとのアドバイスを受けました。
ほんの2年前のことなのに、何だか遠い昔のことのような気がします。
その後、母は認知症の症状が進み、施設に入所することになりました。
そしてわたしは、空の巣症候群のような状態になってしまいました。
そして、今、わたしは、ようやく自分の人生を生き直している気がします。
母とも程よい距離を保ち、自分を大切にしようと思うようになりました。
母の介護に追われていた頃は、「楽しむこと=悪」のような考えでしたが、
今のわたしは、自分が楽しいと思うことを罪悪感を持たずにできるようになりました。
まだ、心療内科へも通っていますが、薬も減薬し、
辛かった不眠もかなり改善されてきています。
すぐ下の妹は、強迫性障害で入院したものの現在はリハビリ中、
福岡にいる末の妹は、甥っ子の学費のためにバリバリ働いていますが、
いつの日か、妹たちと食事をしたり、旅行に行ける日がくるでしょうか?
そんな穏やかな日が来ることを願いつつ、父のお墓にお参りした1日でした。
父の好きだった黄色い薔薇。旧自宅のシャーロット・オースチン。
わたしが、母と共依存に陥ったのは、母がわたしを頼ったこともありますが、
父亡き後、父の代わりに母を守らねばならないと思い込んだからと思います。
父と母は本当に仲が良くて、母は父に頼りっぱなしでしたから、
父が亡くなった後は、母がどうなるのだろうと皆心配したものでした。
実際、母は、父の死後3ヶ月で10キロも痩せてしまいました。
あれから16年、もうわたしが頑張る必要はなくなりました。
母も、今は穏やかな毎日を過ごしています。
日々、母に関わってくださっている方々に、心から感謝しています。
本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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