自分への興味が持てなかった日々

ネロリ

Uターン主婦のネロリです。
ご訪問いただき、ありがとうございます。

今日の東京は、時折小雨が降る寒い1日でした。
それでも、ラジオ体操と30分フィットネスには行ってきました。

身体を動かすと、メンタルも改善するということを、
身をもって感じるようになったからかもしれません。

でも、本当に重いうつ状態の時は、言い方はおかしいですが、日光が痛くて
部屋のカーテンを開けることすらできなかったので、
運動できるようになったのは、かなり回復したからなのだと思います。

自分への興味が持てなかった

昨日の記事でチラリと、自分への興味が出てきた気がすると書きましたが、
母の介護に追われていた頃は、自分のことは二の次だったので、
自分が何をしたいのかさえわからないような生活でした。

趣味を楽しんだり、おしゃれを楽しんだり、旅行に行ったりなど、
ちょうどコロナ禍と重なったこともあり、
何もできない、しようとも思わない、ただ母に振り回される日々。

特に昨年の今頃は、母の認知症の進行とともに、わたしのメンタルが悪化、
久しぶりに心療内科に足を運び、薬を処方されることになり、
日記にも「最悪」「消えてしまいたい」などのネガティブワードが並んでいました。

口数の多くないジミ夫も「去年の今頃は、本当に大変だったなあ」と漏らすほど、
家の中が暗く、険悪な雰囲気でした。

ストレス過多な生活

うつの原因はストレスだと言いますが、
結婚、出産、新築という一般的にはおめでたい出来事も、
ある意味ストレスであり、うつの原因になることもあるそうです。

ここ数年のわたしの生活の変化を、時間を追って書き出してみました。

1、母が認知症と診断され、遠距離介護が始まる
2、義母の遠距離介護と、茨城の施設への入所
3、義母の死と、義実家の片付けと処分
4、息子の独立
5、実家の片付けと解体、そして建て替え
6、母の茨城への引っ越しと、同居の開始
7、茨城の自宅の処分と、東京への引っ越し

90代の義母が健在だった頃は、長男の嫁として、
義母の介護をする義妹とジミ夫の手助けもしなければなりませんでした。

そして、義母が亡くなった後は、相続のための義実家の片付けと処分、
そしてわたしの実家を解体し、茨城の自宅も処分して、家を建て替えて母と同居するという、
目の回るような多忙な日々が始まりました。

シニア世代の方なら、同じような経験をされていると思いますが、
本当に慌ただしい日々でした。

特に、実家を建て替えると決めたあとは、母の介護の合間に、
実家の片付け、住宅メーカーとの打ち合わせと、嵐のような忙しさでした。

適応力ゼロ?

ジミ夫も70代で家を新築したり、わたしの母との同居が始まり、
かなり大変だったと思います。

でも、メンタルをやられてしまったのは、わたしだけでした。
今から思うと、逆でなくて本当に良かったと思いますが。

ジミ夫が鋼のような強いメンタルを持っているのではなく、
うまく適応して、やり過ごすことができるタイプなのだと思います。

いわゆるレジリエンスが高い人なのでしょう。
一時、鈍感力という言葉が流行りましたが、そんな感じかもしれません。

反対にわたしは、なんでも間に受けて、一喜一憂してしまうタイプ。
感情の浮き沈みが激しくて、自分でも疲れてしまうことがあります。
そして、それが続くと、いつしか何も感じなくなって、暗黒面に陥ってしまうのです。

こんな風に、自分を分析することができるようになったのも、
メンタルが回復してきたからで、母の介護の真っ只中にいた頃は、

「なぜ誰もわかってくれないの?」
「どうして誰も助けてくれないの?」
「わたしばかり大変な思いをしている」
「うまく行かないのは、わたしがダメだから?」

こんなことばかり考えていました。

そして、母を自分の思い通りにしようとして、もがいていました。
母は認知症なので、そんなことできるわけないのですが、
どんどん症状が進んでいく母に、ついていけなかったのだと思います。

今思い返すと、かわいそうなことをしたなと反省しています。

穏やかな生活へ

思い返せば、父の病状が悪化し、父を看取った後は、一人になった母との関係で悩み、
だんだんと衰えていく母を支えながら50代を突っ走ってきました。
その間、自分も2回の手術をし、メンタル疾患を抱えながらの日々でした。

そうして走り続けた着地点が、今の生活なのだなと、しみじみと感じます。
ようやく手にした穏やかな生活に、感謝の日々です。
自分自身に興味が持てるようになるなんて、1年前には考えられませんでした。

もちろん、これから先、また色々なことがあるでしょうし、
また同じように、悩み、葛藤し、落ち込むのだろうと思います。

でも、次に大きなストレスにさらされた時には、
少しはうまく適応できるようになりたいものです。

頑張らずなんとかやり過ごす、気にしないようにする、楽観的になる、
受け入れる・・・なかなか難しいですけれど。

おわりに
neroli_1018.jpg
近所の花屋さんのブーケ。大人っぽいクリスマス仕様でしょうか。

急に寒くなったので、また寒暖差アレルギーの鼻炎症状が出るのではないかと、
戦々恐々としているのですが、今のところは大丈夫なようです。
自律神経が安定しているのかもしれません。
睡眠不足にならないよう、気にしない程度に(笑)、気をつけようと思います。

本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
コメントや応援クリック、メッセージ、いつもありがとうございます。
更新の励みになっています。
それでは、また・・・。

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Comments 2

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ムンク
ありがとうございます。

随分久々のコメントになってしまいました。
奈良の旅行記がとても素敵で自分も行ってる気分になれました。
うちはなかなか旅行に行けなくて。。何度も予約しては一週間前の天気予報でキャンセル。。が何度となく
続いてまして。今までがお天気に恵まれないことが多く、主人が天気の良い時じゃないとやはり楽しさが
半減するというので、雨女と雨男の組み合わせとしては、なかなか遠出ができなくて(笑)
日帰りは思いついて行けるので、10月には苗場のドラゴンドラにも行けました。
でも、やはり泊りがけの旅行もしたいです!!

毎日のラジオ体操とフィットネス、その上水泳!素晴らしすぎます。
少しでも見習いたいと思います。
いつものことながら思いはあれこれあるのに、うまく言葉にできないのでこのへんで。
とにかく楽しく、考えることも多く素敵な時間でした。これからもブログ楽しみにしています。
もちろん、無理のない程度でお願いします!

  • 2022/12/06 (Tue) 11:45
  • REPLY
ネロリ
ネロリ
ムンクさま

ムンクさま、こんばんは。
その後、体調の方はいかがですか?
どうぞ無理なさらないでくださいね。

奈良旅、楽しんでいただけてよかったです。
わたしも、どちらかといえば雨女です。結婚式も雨でしたし(笑)。

今回は、夜や移動の時には振られましたが、
外を歩くときには、何とか上がってくれました。
予報ではかなり悪かったので、ラッキーだったかもしれません。

思い立ってすぐに出かけられるムンクさまご夫婦、羨ましいです。
我が家はそれができないんです。
基本的に、お尻が重いんですよね(笑)。

悪天候は、富士山裾野一周ツアーで鍛えられました。
吹雪の中を歩いたり、富士山が全く見えない回もありましたから(笑)。
でも、そういう回の方が思い出深く、印象に残っているんです。
不思議なものですね。

運動は本当に苦手なのですが、健康のために頑張っています。
茨城にいた時と違い、徒歩で行けるというのが、続いている理由だと思います。
あちらでは、自転車かバス、あるいは車で送ってもらうしかなかったので。

今回、人間ドックの結果があまり良くなかったので、
何とかしたいなと思っています。

いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。
急に寒くなりましたが、ムンクさまもどうぞご自愛くださいね。