今日を生きられなかった人のためにも・・・

ネロリ

こんにちは、ネロリです。
ご訪問いただき、ありがとうございます。

毎回、「こんにちは」と書いていますが、実のところ、ブログを書くのは夜が多いです。
そういうときは、「こんばんは」と書くべきなのでしょうか?
つまらないことが気になってしまう性分です。

今日は、父親のお墓参りに行ってきました。
東京にUターンしてきた理由のひとつが、お墓です。

夫とわたしは長男長女夫婦で、それぞれのお墓を守っています。
お寺はどちらも都内にあるので、茨城から毎月お墓参りに行くのは、一日仕事。
今は、車でも20分ほどで行けるので、楽になりました。

もちろん、毎月お参りに行く必要などないのですが、
すでに習慣化してしまっていて、行かないとすっきりしません。

月命日が7日なので、毎月、月命日の前後、
あとはお彼岸、お盆、年末にお墓参りに行きます。

父が亡くなってもうすぐ15年ですので、
ざっと数えて240回もお墓参りに行った計算になります。

子供の頃は、お墓参りって面倒…という思いもありましたが、
年とともに気持ちも変わって来ました。

ましてや、自分の親のお墓となると思いも格別です。
わたしは、特別信心深いわけではありませんが、
年を重ねて、ようやくご先祖様を大切にしようという気持ちが芽生えて来ました。

父が亡くなったばかりの頃のできごとですが、
お墓参りをしようとお寺に着くと、どなたかの告別式の出棺でした。

「ああ、うちもああだったな」と思いながら、そのまま通り過ぎようとしたら、
そのときに一緒にいた末の妹が
「こういう時は、たとえ知らない人でもきちんと拝まないと駄目」
と言って、わたしや母を止めたので、一緒に合掌して出棺を見送りました。

わたしより10歳も年下で、当時はまだ30代後半だった妹ですが、
わたしなんかよりよっぽど人間が出来ているなあと感心しました。

今回の母の件でも感じましたが、最近、末の妹と話していると、
その懐の深さに驚くことも多いです。

人間の大きさって、年齢ばかりじゃないですね。
もちろん経験値は関係あるかもしれませんが、
40歳を過ぎると、それだけではない何かがあるようにも思います。

わたしは、ものごとを決めつけたり、型にはめたりしたがる傾向があるので
もう少し柔軟になれたらいいなと思います。

来月は、父の祥月命日ということもあり、
今日はお参りしながら、父のことを色々と思い出しました。

わたしは子供の頃から父親っ子で、父のことが大好きでした。
あの時代のサラリーマンが皆そうだったように、
父も仕事が忙しく、あまり遊んでもらった覚えもないのですが、
とても優しい父で、父を誇りに思っていました。

今は、認知症で残念な状態の母ですが、
わたしたちに向かって、父の悪口や愚痴を言ったことはありませんでした。
それだけは、本当にすごいなと尊敬します。

何年も闘病していた父が、あとひと月とお医者様に言われた時は
父の寿命をそんな簡単な数字で区切らないでほしいと、本当に悲しかったです。

今から思えば、父ももう70代半ばで、
ずいぶん長く患っていたので仕方がなかったと分かるのですが、
当時は、病気でもいいから一日でも長く生きて欲しいと願いました。

15年前の今頃、切ない思いを抱えながら、
駅に歩く途中に見上げたくっきりと青い空を、今でもよく覚えています。

結局、父はお医者様の言葉通り、ひと月後に亡くなりました。
どんなに生きたくても、今日という日を生きられなかった人が大勢いるということを
わたしはその時に教えられたように思います。

こんな頼りないわたしでも、
今、生かされているということを、忘れないようにしたいと感じた一日でした。

neroli_046.jpg

パソコンに保存されていた、
在りし日の父が、羽根木公園で梅の写真を撮っている画像。


neroli_011.jpg

先日のブログにもあげましたが、
やはり、夫が羽根木公園で梅の写真を撮っているところ。
上の父と同じくらいの年じゃないかしらと思いました。

そして、わたしはなぜ写真を撮っている人を撮るのでしょうか。
うーーん、なんとなく撮ったとしか(笑)。

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