出身地を聞かれると、戸惑う
Uターン主婦のネロリです。
いつもご訪問いただき、ありがとうございます。
今日は、ジミ夫と区立中学のプール開放に行ってきました。
日曜日のせいか親子連れも多く、子どもたちの賑やかな歓声が響いていました。
今日も、水中ウォーキング500mと遊泳500m、合わせて1000mで終了。
帰りにスーパーで買い物し、カフェでコーヒーを飲んでから帰宅。
中学まで片道15分くらいなので、いい運動になりました。
本籍、出生地、出身地
プール開放をしている中学がわたしの母校だということは、以前書きましたが、
その中学に通ったのは、中2の2学期からなので1年半ほどです。
その前は、北海道の中学に通っていました。
大人になってから、戸惑っていたことがあります。
それは、出身地を聞かれること。
本籍は生まれてからずっと東京です。
実家の住所から、結婚する時にジミ夫の実家の住所に変わり、ずっとそのまま。
なので本籍は東京と答えます。
出生地もまた、ひとつなので、答えられます。
わたしは、神奈川県の横須賀市で生まれたので、横須賀と答えます。
聖ヨゼフ病院という病院で、旧病棟は横須賀のシンボル的な建物だったようです。
でも、横須賀は父の転勤先で、その後引っ越したので、横須賀の記憶はありません。
ただ、「出身は?」と聞かれると、答えに窮してしまいます。
中学の2年で東京に戻ってくるまで、ほぼ地方で暮らしていたからです。
わたしは父の転勤について、主に東日本のあちこちに住みました。
短いと1年、長くても2年半くらいでの引っ越し。
なので、幼馴染もいません。
自宅は東京にありましたが、長く祖父母が住んでおり、
東京の小学校に通ったのはたった1年。
自分の家という感覚はありませんでした。
ようやく東京に落ち着いたのが、中学2年で戻ってきてからです。
でも、物心ついてからずっと地方での生活だったので、
東京が故郷とは、なかなか思えませんでした。
わたしが印象深いのは、岩手県の雪深い田舎での生活や、
同じく、自然がいっぱいの北海道での生活です。
特に、北海道での生活は本当に楽しかったです。
冬は雪かきを手伝わされて大変でしたが、
地元民しか行かない近所のスキー場に行って滑ったり、
春から夏は、よく森に遊びに行きました。
地平線に沈む夕日を眺めながら、こんな美しいところはないと思いました。
北海道での生活も2年半でしたが、東京に転校することになったときは、
「内地の子にいじめられんなよ」と励まされました。
転校してきたときは「内地から来たんだって?」と言われたわたしでしたが、
戻る時には方言も覚え、すっかり道産子でした(笑)。
今はすっかり方言も忘れてしまいましたが、当時の仲良しさんとは
今でも年賀状をやり取りしています。
東京に馴染めない
引っ越し後、わたしがなかなか東京での生活に慣れなかったのは、
学校に馴染めなかったからだと思います。
中学・高校と「自分は東京の子と違う」とずっと違和感を持っていました。
特に都立高校時代は、制服もなく、自由すぎる校風が嫌で、
もっと普通の?高校に行きたかったと後悔しました。
わたしから見た東京の子は、勉強もするけれど、要領が良くて遊び人。
私服のせいか、パーマをかけていたり、薄化粧の子も。
かといって不良ではありません。
いわゆる「ヤンキー」は、わたしの高校にはいませんでした。
早慶上智クラスを狙える成績のいい子が、流行のファッションに身を包み、
放課後、新宿や原宿で遊んでいたりするのです。
そういう子たちのグループが、スクールカーストの上位でした。
垢抜けない真面目くんタイプのわたしは、今でいう陰キャ。
クラスの中でも目立たず、いてもいなくてもいいような存在でした。
虐められこそしませんでしたが、馬鹿にされてるなとは感じていました。
わたしの高校時代のお話はこちら。


仕送り2万円で暮らした高校時代
今まで、何回か書いてきましたが、わたしは高校の時に下宿生活をしていました。高校1年の夏、父が海外赴任することになり、学校の関係でわたしだけが日本に...
そんなわたしでしたが、短大に入ってようやく居場所を見つけました。
地方から来ている子が大勢いたのです。
特に推薦で入学してきた学生は、素朴で真面目な子が多かったです。
女子大だったので、付属から来ている学生もいたのですが、
お化粧も上手で華やかな子が多く、入学式後のオリエンテーションの時から、
外部入学者とは違っていました。
真面目で垢抜けないわたしたちのグループも、
卒業する頃には、それなりな女子大生になっていましたが、
みんな地元の企業に就職して、東京から去っていきました。
寂しかったですね。
わたしも、就職した会社で同期からのイジメに遭ったりして、
花のOL時代は、結構暗黒だったりしました。
いじめに遭ったOL時代のお話は、こちら。
わたしが東京に馴染めなかったのは、
単なる劣等感からかなと考えることがあります。
自分が東京を好きになれなかったから、出身地を聞かれた時に、
戸惑ってしまうのでしょうか。
結婚してから、家を買ったのは茨城県の県南地域でしたが、
大好きだった北海道を思い出す広々とした空や
緑豊かな田園風景が気に入ったのかもしれません。
約30年ぶりに東京に舞い戻ってきて、1年と数ヶ月。
東京という洋服は、まだわたしにしっくりとは合いません。
それでも、ここを終の住処と決めたからには、
少しずつ慣れて、この場所を好きになっていこうと思います。
おわりに
茨城の個人宅のオープンガーデンで撮った、オールドローズ。
坂野ガーデンという薔薇好きには有名なお庭です。バラは茨城の県花。
コロナ禍の真っ只中に、東京に引っ越してきたせいか、
あまり遠出はせず、近所を散歩したりすることが多いわたし。
なので、都心のおしゃれなお店や、都会的な場所に行くことも少ないです。
ランチやお茶も、応援の意味を込めて、
チェーン店ではなく、近くの個人経営のお店に行くようにしています。
最近、近所に若いお兄さんが一人でやっている洋菓子のお店ができたので、
頑張ってほしいと思って、よく買いに行っています。
母を自宅介護していたころの我が家は、
ケアマネさんをはじめとして多くの人が出入りしていましたが、
今はジミ夫とふたりの静かすぎる生活。
そのせいか、二人で散歩がてら外でランチをすることが増えました。
やっぱり寂しいシニアなのでしょうか(苦笑)。
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