父の誕生日に、若き日の父の人生を辿る

ネロリ

Uターン主婦のネロリです。
いつもご訪問いただき、ありがとうございます。

今日の東京もいいお天気でしたが、わたしは旅行の片付けや、大物洗濯で
外出することなく一日終わりました。

たった1泊の旅行だったのに、久しぶりだったせいか疲れてしまい、
ダラダラしていました。
旅慣れている方は、そんなことないのでしょうか。

そんな中、花屋さんから素敵なアレンジメントが届きました。

neroli_757.jpg

福岡にいる末妹からです。
今日は亡き父の誕生日、生きていれば92歳です。
カードには「お父さん、いつも守ってくれてありがとう」とありました。

末妹は、父が健在だった頃から、父の日とお誕生日にプレゼントを送っていました。
父が亡くなったのは2007年ですが、それ以降も同じように今度はお花を送ってくれています。

父を忘れずにいてくれることに、母はとても喜んでいました。
母とわたしも、父が生きているかのように、父の誕生日にはお祝いをしていました。
今年も届いたアレンジメント、母にも見せてあげたいと思いました。

父の人生を辿る

母も、わたしや妹たちも父が大好きでした。
真面目で努力家で仕事人間でしたが、家族に対しては優しく穏やかで、
ユーモアもある人でした。

わたしは子どもの頃から「結婚するなら、お父さんみたいな人」と思っていました。
そんなわけで、わたしはジミ夫と結婚したのでしょう、たぶん(笑)。

わたしの人生での一番はじめの記憶は、父に関することです。

わたしは、伯父に肩車されて、空港で父を見送っていました。
この伯父は、5月に亡くなった父の兄です。
青い線の中に日の丸がデザインされた飛行機の尾翼を覚えています。

聞いた話では、父がアメリカに留学することになり、
家族だけでなく、親戚一同で羽田空港に見送りに行ったのでした。
昭和37年のことで、わたしは2歳半くらいだったようです。

そんな小さい頃の記憶があるなんて、
よほど印象的なできごとだったのだなと思います。

もしかしたら、後付けの記憶なのかと思って写真を調べましたが、
飛行機が映った写真は出てきませんでしたし、当然のごとく写真はモノクロばかり。

尾翼のデザインが青のラインに赤の日の丸は、わたしの勘違いかと思い、
ネットで調べたら、確かに鶴のマークになる前は、青のラインに日の丸でした。
やはり、あの光景は本当の記憶だったのかなと思います。

母曰く、当時、海外に留学するのは、今とは比べ物にならないほどの大きなできごとで、
それで親戚一同で見送りに行ったらしいです。

父は国家公務員でしたので、国費からの留学でした。
当時はドルの持ち出しの制限額も低くて、大変だったと聞きました。

下は、実家解体の際、父のアルバムから剥がした留学中の写真と、母宛の絵葉書です。

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「宿舎の私の部屋。大きくなって窓が三つある。右の方ベッド。
左の棚にある目覚まし時計はここで買った。ドイツ製。一応勉強の姿勢。1962年4月」

写真の裏にこんな父のメモがありました。
部屋がえで、広い部屋に移ったのでしょうか。
写真は、同じ宿舎の方に撮ってもらったのかもしれません。
アルバムから剥がさなかったら、メモに気づくこともありませんでした。

当時の日本では、一般家庭ではカラー写真は普及していなかったでしょうから、
アメリカは本当に豊かな国だったのですね。

絵葉書は、母の引き出しから紐で括られて出てきました。
これは、日付は1962年1月のものでした。
文面が面白かったので書いてみます。

「元気でいますか。最初の週末も、もう夜になりました。
日本は11時半だからネロリは何をしているかな。
昨日は市街に出てみました。寒いし、この絵葉書で見る程きれいではない。
今日は一日ゆっくり休みました。(中略)

お家の皆様元気ですか。ネロリがいたずらするでしょうね。
昨夜テレビでローハイドとサンセット77を見た。さっぱり分からなかった。
なお小包は、航空便では送らぬこと(高いから)。
ブロバリン錠を3箱くらい追加たのむ。包装はしっかりしてください。
毎月○○から、文藝春秋と週刊朝日を送ってくれるとのこと。
寒さもきびしくなるから体に気をつけて。
手紙も下さい。(ネロリのも)さようなら」

わたしの名前が3回も出てきてうれしかったです。
もちろん「ネロリ」ではありません(笑)。まだ妹は、母のお腹の中でした。

「手紙も下さい(ネロリのも)」とありますが、
2歳半くらいだったので、落書きでもなんでもいいから欲しかったのかな。
わたしは何か描いたのでしょうか。
筆無精だった母ですが、ちゃんと父に手紙を書いたのでしょうか。
今度探してみよう。

「ブロバリン錠」って何の薬だろうと調べたら、不眠症、不安緊張状態の鎮静とありました。
最近、発売中止になったようです。
わたしがメンタル弱いのは、もしや父の遺伝?と思いました。

「お家の皆様」というのは、母方の祖父母のことです。
父の留学中、身重の母とわたしは、秋田の母の実家に身を寄せていました。
なので、すぐ下の妹は、秋田県生まれです。

この手紙の頃、父は30歳。息子より若かったのですね。
まだアメリカに着いたばかりで、家族とも離れ、
日本人もいなくて、寂しかったのかもしれません。

父が亡くなったのは76歳の時。
もっと父から色々な話を聞いておけばよかったと思います。

とはいえ、実際には父も闘病で苦しかっただろうし、
母もわたしも、それどころじゃなかったのですけれど。

花を送ってくれた末妹は、わたしより10歳年下の末っ子です。
父も、末妹のことをとても可愛がっていました。

わたしは早くに親元を離れたので、壮年期の父を一番よく知っているのは末妹。
今度、末妹に会う時は、わたしの知らない父の話を聞きたいと思います。

父のことを書いた過去記事はこちらです。

おわりに

neroli_758.jpg
先日宿泊したホテル前の海。日光が海に映ってキラキラ光っていました。

今日は、若き日の父の人生を辿ってみました。
母が特養に入って、少し落ち着いてきたせいか、
父や母の人生を辿ってみたい、自分のルーツを知りたいと思うようになりました。

これからの自分の人生のためにも、これまでを振り返ってみたいです。
また、父が転勤族であちこち引っ越したので、元気なうちに、
昔住んでいた場所に行ってみたいとも思います。

本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
コメントや応援クリック、メッセージ、いつもありがとうございます。
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それでは、また・・・。

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Comments 2

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バツイチ45

バツイチ45歳でも生きていけますか?

ネロリ
ネロリ
バツイチ45 さま

こんばんは。しろぽんさま、ですよね?
ご質問の件、うーーん、わたしには分かりかねます。ごめんなさい。
あと、できましたら、ハンドルネームを統一していただくとありがたいです。