不登校だった息子の記憶

ネロリ

Uターン主婦のネロリです。
いつもご訪問いただき、ありがとうございます。

ひとり息子のこと

昨日から、つくばで一人暮らし中のアラサー息子が、泊まりに来ています。
今日は、ジミ夫の実家のお墓と、わたしの父が眠るお墓にお参りに行きました。

今どきの若者は、お墓なんかには、あまり興味がないと思うのですが
息子はなぜか、お墓参りが好きです。
我が家に来ても、必ず仏壇に手を合わせます。

特に信心深いわけではなさそうですが、
やはり祖父母が眠る場所ということがあるのでしょうか。

今日も長々と手を合わせていたので、
「何をお参りしていたの?」と聞いたら、
「宝くじが当たるよう、おじいちゃんに頼んだ」と言っていました(汗)。

息子は、何か聞こうとすると、いつもふざけて話をはぐらかします。
そうかと思うと、仕事の話を色々教えてくれたり、よくわかりません。

親から聞かれるのは嫌だけれど、
自分の気が向いたら話すというスタンスなのかもしれません。

息子の不登校

息子は、子どもの頃から甘えん坊で、わたしから離れませんでした。
幼稚園に行くのも泣いて嫌がり、いつも宥めすかしながら登園バスに乗せました。

その後は、ごく普通の小学生でしたが、中学2年の半ば頃から、
登校しぶりが始まり、休みがちになりました。

ある夜、担任の先生から電話があり
「○○くん(息子)が、もう3日もお休みですが、何かありましたか?」
と言われました。

わたしはびっくりしました。
息子は普段通り、登校していたからです。
息子に問いただしましたが、うつむいて何も答えません。

どうやら、息子は登校した後、近くの大きな公園か何かで時間を潰し、
わたしが仕事で家を出たあと、家に戻ってきていたようです。

普段通りの様子だったので、まったく気づきませんでした。
先生からの電話で、初めて息子が休んでいたことを知ったのです。

そして、3日も無断欠席が続いて初めて保護者に連絡してくるって、
どうなんだろうと担任の先生に不信感を持ちました。

まだ、教職について年数が浅い若い先生で、
正直、あまり評判の良い先生ではありませんでした。

それからは、わたしが目を光らせて、登校させるようにしたのですが、
具合が悪いと言って早退してくることも増えました。

特にいじめを受けているわけでもなく、友だちとは仲良くしているようです。
ただ、学校のカラーに馴染めないように見えました。

息子の学校は、ニュータウンにある公立中学で、
教育熱心で高学歴の親が多く、競争心が強い子が多かったのです。
わざわざ他の学区から越境入学してくる生徒もいるくらい、レベルの高い学校でした。

親には何も言いませんでしたが、一人っ子でのんびり育った息子は、
そういう校風が苦手だったのかもしれません。

仕事から帰宅すると、息子が押し入れに隠れていたこともありました。
わたしに見つかって、目に涙をいっぱいに溜めている顔を見て、
怒る気も失せてしまったことを覚えています。

担任の先生は、何の対処もしてくれず、親まかせという感じで、
どうしていいかわかりませんでした。

そのまま息子は中学3年生になったのですが、
おそらく学校側の配慮でしょう、学年主任を務めるベテラン教師のクラスになりました。

その先生は、息子が休みがちになると、毎朝迎えにきてくれて、
「○○くん、先生と学校に行こう」と息子に声をかけ、一緒に登校してくれました。

息子は高校への進学も消極的でしたが、その先生のおかげで、
ようやくやる気を見せ、何とか高校へも進学できました。
担任の先生が変わったけで、こんなに変わるものなのかと驚きました。

高校時代

その後、進学した高校では、特に問題なく過ごしていましたが、
高校2年の後半なってから、また登校しぶりが始まりました。

当時、わたしは父の看病で、実家に泊まることも多く、
またもや息子が休んでいることを知りませんでした。

ジミ夫も遠距離通勤のため、息子より先に家を出るため、
息子が学校を休んでもいるのに、気づかなかったそうです。

担任の先生を含めて話し合いが行われ、大学への進学を希望するなら、
まずは学校に来るようにと、言われました。

ちょうど父が亡くなったばかりで、本当に慌ただしく、
息子だけに関わっている時間はありませんでした。
持病のパニック障害から、うつ病、双極性障害と体調も最悪でした。
そして、人間ドックで初期の卵巣がんが見つかり、手術をすることになりました。

「お母さんに、これ以上心配かけるな」というジミ夫の説得で、
息子はまた学校に行くようになりました。

退院後、家事のできないわたしに代わって、息子は食事を作ってくれました。
そして、何とか大学にも合格し、高校も卒業することができました。

大学時代の息子は、別人になったのように、楽しく学生生活を送っていました。
中学高校時代、あんなに学校に行くのを嫌がっていたのに、不思議なほどでした。

その後、社会人になってから、どうして学校に行かなかったか聞いたことがありますが、
「学校が嫌いだったから」としか、答えませんでした。

わたしも、高校時代、勉強が嫌いというより、学校の校風が自分に合わず、
友だちも少なくて、とても孤独で苦しかった思い出があるので、
息子の気持ちもわかるような気がします。

暗黒の高校時代のことを書いた記事はこちら。

就職し、30代になり、すっかり大人になった息子。
わたしやジミ夫の前では、冗談を言ったり、ふざけてばかりの息子。
時々、わたしに偉そうに説教する息子。

中学高校時代の不登校は、いったい何だったんだろうと思うほどです。
いつの日か、気が向いたら、自分から話してくれる日が来るかもしれません。

おわりに

neroli_714.jpg
ご近所のお散歩風景。

今日は、息子の不登校のことを書きました。
あの頃のことを思い出そうとしても、自分の体調不良のことは覚えているのに
息子とのあれこれは、忘れていることも多いと気づきました。

あまりにしんどかったので、脳が記憶を拒否しているのでしょうか。
本当に不思議です。

思い出すままに書きましたので、読み辛い部分が多々あると思いますが、
どうぞご容赦くださいませ。

本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
コメントや応援クリック、メッセージ、いつもありがとうございます。
更新の励みになっています。
それでは、また・・・。

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Comments 2

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フユ子
最強のサバイバーかも?

ネロリさん、こんにちは。

辛かった時の記憶って、
蓋をしておきたいというか、
掘り起こしたくないものですが、
ネロリさんが息子さんのことを
こんなふうに書けるようになったのは
現在の息子さんがしっかりと自立し
その姿に安心できているからなのでしょう。

私も「引きこもり問題」に関わるようになり
「不登校」についても学ぶことが増えました。
一昔前は、本人や家庭の問題とされていましたが、
こんなに不登校や引き籠りが増えているということは
やはり、日本社会の何かが原因なのだと思います。
学校というところは、いわば社会の縮図で、
決して楽しいだけの場所ではありません。
どちらかというとかなりしんどい場所だと思います。
まじめで、繊細な子どもほど傷つきやすく、
不安感、孤立感、不信感、疲労感から自分を守るために
学校に行かない選択をするのかもしれません。
それを無理に学校へ行かせようとすると
今度は親や家庭という防波堤さえも失い、
取り返しのつかないことになる場合もあるそうです。
そういうわけで、
今は、学校でも不登校の生徒に対して、
無理な登校刺激はしないようになったそうです。
でも、放置していいということではなく、
親以外の一番近くにいる大人としての
教師の役割は大きいと私は思っています。
教師が不登校の原因になっていることも
結構多いのです。



息子さんの2度の不登校体験、
本人にとっても、親にとっても、
辛く苦しいものだったに違いありません。
でも、それ以上に
何か大きなものを得たのではないでしょうか。
息子さん、立派なサバイバーですもの。
中学校で不登校でも、高校進学し、
高校で不登校でも、大学進学し、
就職後も転職の経験がおありだとか。
前に進もうとするすごいパワーを感じます。
(なかなかそういう子はいないです)
きっと、これからの人生、
七転び八起きのような粘り強さで
息子さんらしく前進し続けると思うし、
そんな息子さんに大きな拍手を送りたいです。
勝手な思い込みで失礼なことを書いたかもしれません。
どうか、ご容赦ください。

  • 2022/09/18 (Sun) 11:44
  • REPLY
ネロリ
ネロリ
フユ子さま

フユ子さま、こんばんは。
コメントありがとうございます。

そういえば、フユ子さまは引きこもり支援のボランティアを
していらっしゃるのですよね。
当時、そういう場があれば、どれほど良かったかと思います。

特に原因も思い当たらず、理由を聞いても何も言わず、
登校時間が近づくと、頭が痛い、お腹が痛いと行きたがらないのです。

ただ、わたしも自分自身が、高校の時に学校が嫌いで、
下宿しているのをいいことに、学校を休むことがありました。
その時の理由は「学校に自分の居場所がない」ということ。

あの頃は、学校が「世界のすべて」という感じでしたから
学校に居場所がないのは、本当に辛かったです。
息子もそうなのかなと思いました。

息子が無事高校に進学できたのは、
ひとえに中3の時の担任の先生のおかげです。

受験競争の激しい県立高校ではなく、
少しおとなしい校風の私立高校を勧めてくれました。

公立に比べお金はかかりましたが、一人っ子なので
何とか通わせることができました。

高校でも、休みがちな時期がありましたが、
わたしの入院などもあり、
さすがに、このままではいけないと自覚したらしく、
何とか卒業&進学することができました。

その後は、まあまあ何とかやっているようです。
転職も、何の相談もなく勝手に辞めて、新しい会社も自分で見つけました。

今は、仕事は大変ながら、充実した毎日を過ごしているようです。
何より、ブラックな職場ではないところが、安心です。

息子の、メンタルが弱いところは、わたしに似たのだと思いますが、
マイペースなところは、ジミ夫に似たのかなと思います。

いつの間にか、すっかりたくましくなって、
今ではわたしが息子に「メンタル弱いなあ」と言われるようになりました。
もう、あれほど心配をかけておいて、「おまえが言うな」ですよね(笑)。

昔のあれこれを思い出すと、結婚とか孫を望むことより、
とにかく独り立ちしてくれただけでありがたいと思います。

すみません、ついつい語ってしまいました。
フユ子さまのお優しいコメント、本当に嬉しいです。

今も、不登校や引きこもりで苦しんでいる人やそのご家族が
少しでも救われるよう、願っています。