Uターン主婦のネロリです。
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不調
9月に入ってからは、体調もまずまず安定していたのですが、今朝は久々の不調。
目覚めが悪く、身体がだるくて、起き上がれませんでした。
気分も落ちてしまい、何もできそうにありません。
運動を始めて体調が良くなり、すっかり調子に乗っていたので、がっかりでした。
やはりメンタル疾患の改善は、一筋縄では行きませんね。
そうは言っても、今日は特養に入っている母のコロナワクチンの接種日なので、
ダラダラ寝てばかりいるわけには行きません。
ジミ夫の朝食だけ作って、午前中はベッドで休みました。
お昼近くなってようやく回復してきたので、早めの昼食を食べ、出かける準備をしました。
接種券の準備や予診表の記入など、昨日のうちにやっておいてよかったです。
でなかったら、焦ってバタバタする羽目になるところでした。
うつで体調不良の時は、とにかく「ゆっくり」を心がけています。
いつもなら5分でできることも、10分くらい時間をかけて、
疲れたと思ったら、休みながらやるようにします。
急いだり無理をすると、その後に反動がくるのは、今までの経験でわかっているので、
無理をしないように気をつけます。
でも、こんな風に、自分をコントロールできるのは、かなり良くなったからで、
本当に悪かった頃は、そんな余裕はありませんでしたけれど。
ジミ夫の運転で、母の入所する特養に迎えに行き、
車で30分弱の集団接種会場に母を連れていきました。
本来ならば、施設内での集団接種があったのですが、母には接種券が届いていませんでした。
というのも、1回目と2回目の接種時、母は茨城に仮住まい中だったので、
東京で接種を受けるのが遅くなってしまい、3回目の接種も同世代の方より遅かったのです。
特養で受けられれば一番なのですが、面会中止中の現在、
ワクチン接種を口実に?、母と会えるのはラッキーだったかもしれないと思います。
接種会場では、白髪頭の老母を支えて歩く、同じく白髪頭のわたしに、
係の皆さんが大変親切にしてくださいました。
あまりの心遣いに、こちらが恐縮してしまうほど(笑)。
無事接種を終え、ほっと一安心でした。
母の衰え
さて、久しぶりに会った母ですが、想像以上に衰えていました。
まずは、足腰の衰え。
以前はなんとか一人でも歩けたのですが、今日はヨロヨロとした足取りで、
危ないのでずっと腕を組んで歩きました。
歩く速さも、ずいぶん遅くなりました。
そして、やはり認知機能の衰えも感じました。
何度説明しても、ワクチン接種ということがわからず、
「ここはどこ?」「なんでここにいるの?」と最後まで理解できないようでした。
待機場所でも、「時間になったから行こうね」と声をかけたら
「2時間も待ったから、もう疲れたわ」と大きな声で言って、
周りの人に注目されてしまいました。
きっと、認知症だとわかったでしょうけれど、そういう目で見られることにも慣れてしまい、
わたしも何も感じなくなってしまいました。
郵便局にて
今日は、もうひとつ大きな目的がありました。それは、母を郵便局に連れて行くこと。
ゆうちょ銀行から、母宛に満期の案内が来ていて、
窓口で払い戻しの手続きを行なってくださいとあったのです。
亡くなった伯父の遺言状により、母に土地の遺贈が行われることになったので、
この先、相続税を払わなければなりません。
そして、母は、ほどんどの預金を定期にしてしまっていたので、
施設への支払いで足りない分は、これまでジミ夫が立て替えてくれていました。
払い戻しできれば、それも返すことができます。
手続きは本人でないとできないので、
接種会場のすぐ側にある郵便局の窓口に連れて行きました。
ところが、手続きそのものはスムーズにできたのですが、
母は、自分の住所と名前を書けなくなってしまっていたのです。
わたしが教えながら、ミミズの這ったような文字で、
何とか住所と名前を書くことができました。
間違ったところに訂正印を押したので、押印だらけになりましたが、
窓口の女性も、こういう高齢者には慣れているような感じでした。
本人確認のマイナンバーカードがとても役に立ちました。
本当は、母とゆっくり話す時間が欲しかったのですが、
郵便局の手続きに予想よりも時間がかかり、語らう時間が取れませんでした。
帰りも「これからどこに行くの?」と無邪気に聞く母に、
「○○(施設名)に帰るのよ」と答えると、「そこどこ? デイなの?」と聞かれました。
何と答えたら良いのか悩んだ末、「お母さんの家よ」と答えると、
「そこは家じゃない」と言われてしまいました。
「今は、コロナだから、○○がお母さんの家なのよ」と言うと、納得したようでした。
家を建て替えたこと、わたしたちが同居していたこと、茨城に仮住まいしていたこと、
すべて忘れてしまっているようでした。
それでも、自分が娘たちから大切にされていると感じているようで、
わたしは幸せだと何度も言っていました。
母の言葉を聞きながら、わたしも切ない気分になりました。
母の誕生日
実は、今日は母の87歳の誕生日でした。
去年の誕生日は骨折して入院中で、お祝いができませんでした。
本当なら、今年は一緒にお祝いをしたかったのですが、施設はコロナで面会中止中。
せめて、母に直接お祝いを言いたいと、今日を接種日にしたのでした。
ただ、お茶を飲む時間もないし、人の多いところへ行くのは気が咎めるので、
差し入れだけに留めました。
ところが、母は自分が誕生日だということを聞いても、あまり反応がなく、
まるで他人事のような感じでした。
やはり、認知症が進んでいて、何に対しても反応が薄くなっていると感じます。
特養に戻ると、九州の末妹から生花のアレンジメントが届いているとのこと。
職員さんにも「優しい娘さんたちですね」と言われ、さすがに母もご機嫌でした。
帰り際、こちらに向かって何度も手を振る姿に、涙が出ました。
次に母に会えるのは、いつになるでしょう。
自分で下した決断にもかかわらず、母の顔を見ると心が揺らいでしまいます。
せめて面会ができれば、わたしの罪悪感も多少は薄らぐかもしれないなどと
思ったりするのですが・・・。
結局、わたしも自分のことしか考えていないのかも。
とりあえず、敬老の日にズーム面会の予約をしているので、
また母の顔を見るのを楽しみにしたいと思います。
おわりに
旧自宅の薔薇。チャールズ・レニ・マッキントッシュ。
母を特養に送り届けて帰宅すると、わたしもジミ夫もぐったりでした。
ジミ夫も「お母さん、みんな忘れちゃったんだな」と呟いていました。
寂しいけれど、以前のイライラしたり怒鳴ったりしていた頃の母よりは、
穏やかで、幸せそうに見えました。
不躾な言葉やトンチンカンな発言も、ずいぶんイライラさせられたものでしたが、
今日は、何だか可愛らしい感じさえしました。
離れて暮らすことで、わたしにも心の余裕ができたのかもしれません。
色々あった母とわたしでしたが、もし、母がわたしを忘れてしまっても、
最後まで母を見守っていこうと思います。
本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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