「幸せ家族」の裏側で

ネロリ

Uターン主婦のネロリです。
いつもご訪問いただき、ありがとうございます。

福岡から遊びに来ていた甥っ子は、甲府に旅立って行きました。
「お世話になりました」とペコリと頭を下げて、バックパックひとつ背負って。

母親である末妹は仕事中だと思いましたが、一応ラインで連絡。
気にしていたのでしょう、すぐにお礼が来ました。
わたしもホッと一息。

父の月命日

とりあえず、シーツやカバーリングを洗濯機に放り込み、
お花屋さんに仏花を買いに行きました。
作ってもらった仏花は、吾亦紅やリンドウなどすっかり秋の色。

昔からの顔馴染みの花屋さんなので、
「七日がお父様の月命日でしたね」と、慣れたもの。

昨日が父の月命日だったので、1日遅れのお墓参りに行きました。
東京に戻ってきて、一番助かるのはお墓が近いことです。
茨城にいた頃は1日仕事だったお墓参りも、
ちょっとそこまで・・の感覚で行くことができます。

もちろん、車だからこそなのですが、ジミ夫が運転できなくなったら、
電車かタクシーで行けますので、まあまあ大丈夫でしょう。

今月はお彼岸もありますが、月命日のお墓参りは15年間ずっと続けてきたので
行かないとスッキリしないというか、もう習慣ですね(笑)。
月に一度、大好きだった父の墓前にお参りし、母と家族の安寧を祈ります。

幸せそうに見えても

帰宅後、伯母から電話がありました。
このブログには何度も登場した、父方の伯父の奥さんです。
亡くなった伯父から母への土地の遺贈に関し、土地を分割して登記申請する件でした。

伯父と父との土地トラブルのお話はこちら。

続・相続トラブル(後篇)〜「ここは俺の土地だ」

続・相続トラブル(後篇)〜「ここは俺の土地だ」

今日は、昨日の記事の完結編です。これまでのいきさつは、こちらからどうぞ。続・相続トラブル〜実家の土地は伯父名義だったさて、今日は、わたしの実家の何十年にも渡る相続トラブルについて書いてみたいと思います。このことをずっと書いてみたいと思っていましたが、うまく書ける...


近況を話す中で、伯父夫婦の養子である従弟の話になりました。
伯母の話では、従弟の長女がうつ病で会社を休職しているとのこと。

実は彼女、葬儀の時にも、体調不良で参列していなかったのです。
その時は、単に熱でも出たのかなと思っていたのですが
納骨の時にも、法要は出席していましたが、食事はせずに帰宅しました。

その時に、不自然なほど痩せていたので、メンタルかなと感じました。
生真面目そうな子だったので、仕事で色々とストレスを抱えてしまったのでしょうか。

毎年送られてくる年賀状は、海外の旅先で撮った家族写真が使われていて、
優雅で幸せいっぱいに見えた従弟家族でした。

経済的には恵まれているであろう従弟家族ですが、従弟も奥さんも、
娘のメンタル不調に、さぞかし心を痛めているだろうなと考えると、
とても他人事とは思えませんでした。

わたし自身もうつ病で、家族に迷惑をかけてしまった身ですが、
息子が中学時代から断続的に不登校になった時は、本当にしんどかったです。

思い当たる原因もなく、自分の育て方が悪かったのだろうかと悩み、
息子に対してどうしてやればいいのかわかりませんでした。

正直、息子が一番大変だった頃の自分の心境を、わたしはよく覚えていないのです。
あんなことやこんなことがあったという事実は、途切れ途切れに記憶しているのですが、
その時に、自分がどう感じたのかがわからない。
自分の脳が、思い出すのを拒否しているのかなと思ったりしています。

それこそ、ブログにでも書いていたら、思い出せるのでしょうけれど、
趣味ブログだったので、そこまでのことは書けませんでした。
いつの日か、思い出せる時が来るのでしょうか。

息子の不登校のことは、両親にも妹たちにも話していませんでした。
父の看病で母は多忙でしたし、息子のことで心配をかけられませんでした。
そして、わたし自身もパニック障害を発症してしまいました。

父の闘病、息子の不登校、自身のメンタル疾患。
親しい友人には言えても、さほど深い付き合いのない知人や親戚には言いませんでしたから、
我が家も幸せいっぱいの家族に見えていたかもしれませんね。

従弟の長女も、ゆっくりと休んで、元気を取り戻してほしいです。

おわりに

neroli_698.jpg
旧自宅の薔薇。シャリファ・アスマです。

今日もすっきりしないお天気でしたが、気温はさほど上がりませんでした。
少しずつ秋が近づいていますね。

去年の今頃は、母が大腿骨、恥骨、肩を骨折して大変でした。
母自身はすっかり忘れているようですが、救急搬送、手術、入院とバタバタでした。

母の介護は、メンタルを壊すほど辛い日々でしたが、こうして離れてしまうと、
元気だった頃の母を思い出して、切ない気持ちになったりします。
せめて、面会ができるようになればいいのですが。

本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
コメントや応援クリック、メッセージ、いつもありがとうございます。
更新の励みになっています。
それでは、また・・・。

どれかひとつ、クリックしていただけると嬉しいです。

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ
にほんブログ村 主婦日記ブログ 60代主婦へ
にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ
関連記事

Comments 2

There are no comments yet.
ヨロヨロばあば

最近 このブログを見つけて 毎日訪問!!介護の事で私も色々思い出しました。主人亡き後22年間介護5の義母を介護しました。相性はよくなかった義母でしたがが割に介護しやすかったです。でも「眼瞼痙攣」というややこしい病を発症。ストレスが原因といわれました。介護10年を過ぎたころ(義母は93歳?)空いている私の家を利用して「自宅カフェ」を開いたりしょーとステイを利用して海外へも何度も行きました。最後の8年は施設でしたが3年前105歳で逝きました。そのせいかどうかわかりませんが相続は(あまり無いのですが)3人の義姉達は放棄してくれました。税理士から「あまりこういうケースはありませんよ」と。でもその分何かと出費は続いています…涙。実母と義母の介護は違うと思います。実母の場合は情がからみ苦しいのではと…。その点義母は距離をおいてクールに俯瞰出来ましたが。
今は介護を頑張って そして長男の嫁として頑張ったことに達成感を感じています。ジミ夫さまもいらっしゃることですから 楽しみを実行して暮らしましょう。私は今の所いつ何があっても「私の人生恵まれていた」と感謝出来ます。いまから不満がd手来ますかね…。1726

ネロリ
ネロリ
ヨロヨロばあばさま

ヨロヨロばあばさま、はじめまして。
コメントをありがとうございます。

長年に渡るお義母様の介護、本当にお疲れ様でした。
ご主人を亡くされてから、22年もの間お姑様の介護なんて、
わたしにはとても出来ないだろうと思います。尊敬です。

おそらく、わたしなどには想像もつかないようなご苦労があったことと思います。
ストレスからの難病、よく聞きますが、今は、ご体調の方はいかがでしょうか?

でも、そんな中でも、自宅カフェを開かれたり、海外に行かれたり、
素晴らしい行動力を羨ましく思います。

そして、最後までやりきったという達成感、本当に羨ましいです。
何事も中途半端なわたしですが、いつかそんな風に思える日が来るといいのですが。

また、相続のお話ですが、お義姉様たちが相続放棄されたこと、
きっとヨロヨロばあばさまのご苦労を、よく知っていらっしゃったのですね。
介護はしなくとも、財産だけは要求する話をよく聞きますので、
税理士の先生のおっしゃる通り、珍しいことだと感じます。

>私は今の所いつ何があっても「私の人生恵まれていた」と感謝出来ます。
素晴らしいですね。
わたしもそんな風に思えるように、生きて行きたいです。

今できることを、少しずつでも積み重ねていけば、
ヨロヨロばあばさまのように、素敵なシニアになれるかも?

若輩者の戯言ブログですが、これからも見守っていただけると嬉しいです。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。