続・相続トラブル(後日譚)〜白黒では割り切れないな・・と思う

ネロリ

Uターン主婦のネロリです。
いつもご訪問いただき、ありがとうございます。

一昨日、昨日と、わたしの実家の相続&土地トラブルの話を読んで頂き、
本当にありがとうございました。
今までにないほどのアクセスがあって、本当に驚きました。

今朝になって、改めて読み返してみたところ、
変換ミスや文章がおかしなところが散見されましたので、赤面しながら直しました。
長い年月の出来事を一気に書いたので、さすがに疲れましたが、
何となく気持ちがすっきりしました。

メッセージも、いつもより多くいただきました。
やはり、わたしと同じように、相続トラブルに巻き込まれた皆様からです。

わたし以外にも、大変な思いをされた方が大勢いらっしゃると知りました。
明日以降のお返事になりますが、少しお待ちくださいませ。
本当にありがとうございました。

今日は、父と伯父の土地トラブルのその後の話や、
感じたことを書きたいと思います。

もし・・・?

伯父が遺言状を作ってくれて、ようやく母もわたしも安心しました。
ただ、その遺言状では、母が伯父より先に亡くなった場合は土地の遺贈はありません。

さすがに伯父の死を願うことはありませんでしたが、
母が長生きして、無事遺贈がされるよう願いました。
万が一、母が先に亡くなったら、それが運命だったと諦めようと思っていました。

その後、ジミ夫がわたしの実家を建て替えることになると、
事情を知っていた義妹(ジミ夫の妹)が、そんなことをして大丈夫かと心配したそうです。

わたしも不安がゼロということはありませんでしたが、
幸いにも母は持病もなく強健な質だったので、長生きしてくれるだろうと思っていました。

結果的に、年齢順の通りとなり、当事者のひとりとしてはホッと一息つきました。


伯母の思い

伯父が亡くなってから、伯母とは土地トラブルの話を何度かしました。

伯父夫婦は、伯母の方が合理的な思考の持ち主で、伯父の方が感情的でした。
伯母は、伯父が元気だった頃、何度もわたしの父と話し合うべきだと勧めたそうですが、
伯父は伯母の話に耳を傾けることはなかったそうです。

それどころか、逆ギレして怒鳴ったり、不貞腐れたりして、
かえって伯父は、頑なになってしまったとのことでした。
わたしの父には、本当に申し訳ないことをしたと言われました。

わたしとしては、もう過ぎたことですし、
伯母のおかげで長年の懸案が解決したのですから、
今は何もいうことはありません。
伯父ももう亡くなってしまったことですし。

ただ、伯母としては、自分が死ぬ前に何としてでも解決したかったのでしょう。

伯父のこと

わたしにボロボロに貶された伯父ですが、決して悪人ではありませんでした。
それは、伯父の仕打ちを怒っていた母でさえ、認めていました。

わたしが幼かった頃は可愛がってもらいましたし、
トラブルを抱えていた頃も、ジミ夫と年始の挨拶に出向くとご機嫌でした。

伯父は、ジミ夫のことをとても気に入っていて、
当時、自分が社長を務める子会社へ誘われたこともあります。
最初は冗談かと思いましたが、伯父は大真面目でした。

営業職とのことでしたし、
バリバリの理系で技術職のジミ夫はやんわり断りましたが、
伯父はかなり残念そうでした。

「いったい何を考えているのかしら!」と母はおかんむりでしたが、
何でも自分の思い通りにしたいと思う人でした。

伯父は、軍人の家の長男として厳しく育てられ、
自分も軍人になるべく、幼年学校から士官学校へと進みました。
当時はエリートコースのひとつだったのでしょう。

戦争中は、もちろん大変な目にもあって、多くの同期生が戦死しました。
そして終戦を迎え、世の中はすっかり変わり、おまけに結核になってしまいました。

貧しいながらも、弟(父)は新しい時代に生き、大学にも進学しました。
療養中の伯父は、自分の境遇を恨み、悔しい思いをしていたのかもしれません。

伯父は、土地が欲しかったのではなく、父の思い通りになるのが悔しかったのだと思います。
わたしの父にだけは負けたくなかったのでしょう。

反対に、父は伯父に勝ちたいとも思ったことはなかったでしょうし、
そもそも同じ土俵に立ったことはなかったと思うのですが。

男兄弟の関係も、なかなか難しいものだなと思います。


父のこと

父が伯父に対して怒った姿を、わたしは見たことがありません。
伯父の前では、いつも伯父を立てて、次男の分を弁えていました。
それどころか、実家関係の集まりの時などは、伯父を手助けしていたほどです。

卑屈というわけでもなく、淡々と穏やかに見えました。
もちろん、はらわたが煮えくりかえるようなこともあったわけですが、
そういう姿を知っているのは、母だけでした。

母は自分に素直な人で、父を愛していましたので
わたしたち姉妹に、伯父への怒りをぶつけました。
あまりしつこく言うので、うんざりしたこともあります。

わたしは土地トラブルのことは知っていましたが、
結婚した数年後に、伯父が従弟を養子に迎えたこともあり、
母ほどは、自分自身の問題として考えることはなかったのです。

実家の土地がどうなるのか真剣に考えたのは、父が亡くなった後でした。

父の死後、母と二人で区の法律相談に行ったところ、
贈与となると大変な贈与税がかかるので
現実的な解決方法は、伯父に遺言状を書いてもらうことだと言われました。
その話を聞いて、わたしと母は「無理だね・・・」と諦めました。

母のこと

元気な頃は、伯父夫婦を宿敵のように怒っていた母でしたが、
表面上は、仲良く過ごしていました。
何しろ同じ敷地に住むお隣同士ですから。

そして、伯父夫婦ことを「本当の悪人とは違う」と言っていました。
母も、伯父が父に対して感じていたであろう不公平感を
何となくわかっていたようです。

認知症になってしまった今は、伯父が亡くなったことを何度言っても忘れてしまい、
毎回、「あら、そうなの!」と初めて聞いたように驚いています。

それはそれで、良かったのかなと感じています。

従弟のこと

わたしが書いた記事には、当事者のひとりである従弟(養子)は、ほぼ登場しません。
従弟は、伯父夫婦とも、わたしの両親とも、微妙に距離をとっていました。

独身の時に養子になったため、結婚にはかなり苦労しました。
お見合いをしても、複雑な家庭環境を理由に、断られてしまったそうです。

数回のお見合いの末に結婚した相手は、一人娘でした。
そして、生まれたのは女の子ばかり。
当たり前のことですが、伯父の思い通りには、運びませんでした。

従弟は養子となってからも、長野の両親(わたしの叔母夫婦)を大切にしていたようです。
ある時、伯母が心臓発作で倒れ、救急搬送されたことがあったのですが、
伯父が従弟に電話したら、家族揃って長野の実家にいたそうです。

幸い伯母は軽症でしたが、養親に黙って、親元に行っていたことで、
伯父はかなり怒っていたと聞きました。

そして、従弟には兄と妹もいるのですが、養子の一件以来、
兄弟仲もあまりよくないらしいです。

確かに従弟は、それなりの財産を相続することになりますが、
しなくてもいい苦労も多かっただろうし、いいことばかりの人生はなかったでしょう。

伯父の葬儀で、伯母が堂々と挨拶をしたのに対して、
従弟は挨拶の途中で、涙で言葉が詰まってしまいました。

悲しみというよりは、色々な感情が抑え切れないように見えました。
わたしも、義父が亡くなった時、そんな感情に襲われて泣いてしまったことがあります。

従弟に、心の中でお疲れ様と言いました。

白黒では割り切れない

伯父が悪で、父が善だと言うつもりはありません。
もちろんわたしは父の味方ではありましたが。

伯父にも納得できる言い分があったのかもしれませんが、
亡くなった今となっては、わたしが勝手に推測するだけです。
邪推だと、伯父に怒られてしまうかもしれません。

伯母には本当に感謝していますが、
もし伯母に実子がいたら、伯母の気持ちも違ったかもしれません。
ジミ夫の妹のように。

伯母と母とはソリが合わなかったようですが、わたしとは昔から気が合いました。
わたしは三姉妹ですが、伯母と仲が良かったのはわたしだけです。

すぐ下の妹は、伯母のことを
「立ち回りが上手い人。お姉ちゃんはお人好しだから騙されている」と言いました。
妹が言うには、伯母はわたしを取り込んで、自分の味方にしようとしているとのこと。

ああ、そういう考え方もあるのだなあと思いました。
確かに伯母にも、自分の味方が欲しいという気持ちがあるのかもしれません。

養子となった従弟とその家族とは、それほど親しくないようなので、
寂しい気持ちもあるのでしょう。

もし伯母にそういう気持ちがあるのなら、話し相手になるのは嫌ではありません。
現に、週1回ほどは伯母と電話で話しています。
90歳とは思えないほど快活な伯母との会話は、刺激的で楽しいです。

もしわたしが伯父だったら、伯母だったら、従弟だったら・・・と考えることがあります。
そして、わたしの方が、利己的に動くかもしれないななんて思います。

わたしも、自分が悪人だとは思いたくないですが、
案外、利己的な人間かもしれません。

過去に書いたこと

過去に何度か、伯父や伯母の話を書いてきました。
当時は、土地相続トラブルを書くつもりはなかったので色々ぼかしていますが、
一昨日・昨日の記事を踏まえて読んでいただけると、面白いかもしれません。



おわりに

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旧自宅の薔薇。ジェントル・ハーマイオニー。

今日は、実家の土地相続トラブルに関して、
その後の話や、伯父や父など、当事者について考えたことを書きました。
まとまりのない記事ですみません。

書きながら、この数十年の出来事を色々思い出し、少し感傷的になってしまいました。
できれば、父が生きているうちに解決できたら良かったなというのが、正直な気持ちです。

ただ遺贈となると、父が伯父より長生きするのが前提となってしまうので、
難しかっただろうと思います。
父は病気で、伯父よりも15年ほど早くに亡くなってしまいましたから。

生きていれば、今年92歳になるはずだった父。
どんな老人になったでしょうか?
もしや、認知症??
うーーん、それは考えたくないかも(汗)。
わたしの心の中では、父はいつまでも優しく穏やかな人のままです。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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それでは、また・・・。

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