Uターン主婦のネロリです。
いつもご訪問いただき、ありがとうございます。
昨日は、長い記事にも関わらず、お読みいただきありがとうございました。
今日は、昨日の記事の完結編です。
養子問題でお墓に入れない?
伯父が、突然わたしの従弟と養子縁組をすると報告してきた件で、
父は、伯父に対して、同じ敷地内に住んでいるにも関わらず、
自分にまったく相談がなかったのはなぜかと問い詰めました。
伯父は、おまえには関係のないことだと答えたそうです。
このままでは埒が開かないと思った父は、
翌日、長野に住む妹(従弟の母親=わたしの叔母)のところに、
どういう経緯でこのような話になったのかを聞くために、出向きました。
叔母は、父が突然やってきたことに大いに驚きました。
なぜなら、叔母は長兄(伯父)から、父に対しては自分から話をすると聞いていたからです。
養子の件は、父も納得済みと思っていたのでした。
叔母の話では、伯父が、跡継ぎとして次男を養子に欲しいと言ってきたそうです。
つまり、お墓を守るということですね。
東京の土地の件は、言っていなかったらしいです。
この話は、帰宅した母、そしてわたしたち三姉妹にもすぐに伝えられました。
普段は穏やかで、伯父にも従順な父でしたが、相当腹を立てていたそうです。
なぜなら、父も母も、伯父夫婦と共に、
高輪にある実家の先祖代々のお墓に入るつもりだったのです。
それは、伯父に後継ぎがいないからこそできることでした。
わたしと妹は結婚して家を出ていましたが、末妹はまだ大学生でした。
もし彼女が養子を取れば、実家のお墓を継ぐことも可能だったのです。
そんな事情もあり、父は両親の眠るお墓をとても大切にしていて、
転勤生活が終わり東京に落ち着いてからは、
伯父たちよりも頻繁にお墓参りに行っていました。
わたしも、両親は高輪のお墓に入ると信じていたので、
伯父が養子を取ることで、父と母がお墓に入れなくなると聞き、驚きました。
跡継ぎ問題の当事者のひとりである父に何も言わず、
そんな大事なことを決めてしまった伯父の心の中は、どういうものだったのでしょう。
娘ばかりとはいえ、3人の子どもに恵まれ、孫もでき、
順風満帆に見える弟への反感があったのかもしれません。
そして家長として、弟の娘に世話になりたくないと思ったのでしょうか。
アウェイでの披露宴
伯父と従弟の養子縁組披露宴は、華やかに行われました。
父方の親戚はもちろん、亡くなった祖父の従兄弟や従姉妹、その子どもたちなど、
わたしが会ったこともないような遠い親戚まで呼ばれました。
わたしたち三姉妹は、そんな披露宴には馬鹿馬鹿しくて行きたくなかったのですが、
「お父さんのために出席して」と母に頼まれ、全員で出席しました。
もちろんご祝儀持参で。ジミ夫や息子、妹のご主人も一緒です。
まるで敵陣に乗り込むような気分だったのを、覚えています。
伯父が満面の笑顔で、「おかげさまで、これで○○家(実家)も安泰です」と挨拶すると
みんなが口々にお祝いの言葉を述べました。
父はどんな気持ちで伯父の挨拶を聞いたのでしょうか。
当事者のひとりにも関わらず、蚊帳の外で養子話を決められ、
伯父への抗議も受け入れてもらえず、屈辱感でいっぱいだったのではないかと思います。
それでも、表向きは穏やかに、伯父夫婦と従弟にお祝いを言っていました。
養子になった従弟は、硬い表情でひな壇に座っていました。
従弟が伯父からの養子話をなぜ受け入れたのかは、わかりません。
生まれ育った家を出て、伯父の息子となり、慣れ親しんだ苗字も変わるのです。
社会人となってから苗字が変わるのは、抵抗がなかったのでしょうか。
従弟の母である叔母は、最終的には本人の気持ちに任せたそうです。
伯父が暴君的な気質だということは、従弟もある程度わかっていたと思います。
ただ、実家の土地問題は、よくは知らなかったようです。
わたしの母は感情的な人なので、父以上に怒っていて、
表向きはにこやかにしていましたが、財産狙いに違いないと決めつけていました。
というのも、その頃、伯父はそこそこ出世して、とても羽振りがよかったのです。
わたしの見たところ、半分以上は税理士である伯母の働きだったと思いますが、
確かに伯父には商売人としての才能があり、商社が向いていたのでしょう。
敗戦と病気で挫折を味わった、元エリート士官の伯父は、
ようやく弟に勝ったと思っていたのではないでしょうか。
せっかくの豪華なお料理も、砂を噛んでいるような味でしたが、
わたしは父のために女優になりきって、初めて会う遠い親戚にまで、
にこやかにお酌をして回りました。
「あらあら、○ちゃん(父)にこんな立派なお嬢さんがいたなんて」と誉められ、
「これからも、どうぞよろしくお願いいたします」と頭を下げました。
まったく楽しくない宴で、帰宅後はぐったりと疲れてしまいました。
ジミ夫もいい迷惑だったと思いますが、一緒に来てくれて本当にありがたかったです。
父がお墓を買う
従弟が伯父の養子になってから、父は危機感を覚えたのか、
まずは、自分と母の入るお墓を探し始めました。
ちょうど退職したばかりの頃だったと思います。
目黒に永代供養をしてくれる霊廟を見つけ、退職金で購入しました。
これで、娘全員がお嫁に行っても大丈夫と、母も喜んでいました。
父は自分の実家の墓と共に、新しい霊廟のあるお寺にも、
母と一緒によくお参りに行っていました。
その頃、父はまだ50代半ば。
なぜ早々とお墓を買うんだろうと思ったわたしですが、今思うと、
自分の病気が進行していることをわかっていたのだろうと思います。
この土地は俺のもの
退職後の父はメーカーに再就職し、サラリーマン生活は続きましたが、
仕事をしながら、自分が住んでいる土地のことを色々調べ始めました。
何としても、昔の約束通り土地を譲渡してもらいたい。
わたしは法律に詳しくないので、よくわかりませんが、
借地、譲渡、贈与など、色々な方法を考えたようです。
もともとは親の土地だったのに、お金を出して譲ってもらうなんて、
納得できない気もしましたが、父は本気でした。
でも、一番の問題は伯父でした。
父が何度、第三者を入れて土地に関する話し合いをしたいと申し入れても、
伯父は一切、話を聞きませんでした。
「ここは俺の土地だ」の一点張り。
この頃、父が作成した資料や、伯父宛の手紙のコピーなどが、
父の死後たくさん出てきて、家族を守ろうと必死だったのだろうと胸が痛みました。
「話し合いに応じてほしい」
「ここは俺の土地だ」
何度このやり取りが繰り返されたことか。
こんなことが20年ほど続き、解決の糸口が見つからないまま、父は亡くなりました。
父が亡くなった時、伯父が父の枕元で
「意外とあっけなかったな」
「俺は丈夫だったが、あいつは子どもの頃から虚弱だった」
と口にして、母を激怒させました。
本当に無神経な伯父の言葉ですが、本人に悪意は全然ないのです。
気まずい空気がその場を支配し、伯母が何とか取り繕おうとしましたが、
母も、わたしたちも無言でした。
仕事ではやり手の伯母も、当時は暴君だった伯父に従うしかなかったようです。
そして、家長を自認していた伯父は、どういうわけか、
父の葬儀も自分が仕切るつもりだったのです。
ところが父は先手を打って、亡くなる直前に、親友に自分の葬儀のことを頼んでいました。
父の親友は、高校・大学と同窓で、仕事も同じ公務員でした。
その方が葬儀委員長となり、父の友人や仕事関係の方の連絡などを
一手に引き受けて下さったおかげで、本当に助かりました。
親族の一人に格下げ?された伯父は、たいそう不満だったようです。
母は、自分のお葬式までは仕切られたくないという、
父の思いだったのではないかと言っていました。
ただ、伯父の血縁である父が亡くなってしまったことで、
いよいよ土地問題は解決が難しくなりました。
伯母の正義
その後、わたしの母は、伯父名義の土地に建った古い家に、一人で住み続けました。
誰かが住んでいれば、さすがに追い出されることはないだろうと、
傷んだ家を何度もリフォームしました。
母もわたしも、もうこの問題は解決することはないだろうと、諦めていました。
もし母が死んだら、この家をどうしよう。
もし、伯父夫婦が死んだら、この土地は従弟のものになる。
どちらにしても、面倒が起こりそうで、考えたくありませんでした。
父が亡くなって10年ほど経った頃でしょうか。
さすがの伯父も90歳になり、かなり衰えてきていました。
暴君だった頃の我儘さはすっかり影をひそめ、少し呆けてきていました。
もともと子供のような人で、わたしが幼かった頃は、可愛がってくれた伯父でした。
父に対しての酷い仕打ちを忘れたわけではありませんが、
こんな年寄りと喧嘩をしても仕方ないと諦めて、わたしも伯父に優しく接していました。
そんなある日、わたしが実家にいる時に、伯母が一人で訪ねてきました。
伯母は、母とわたしに、伯父に遺言状を書かせ、土地を遺贈したいと言いました。
すでに、司法書士に頼んでいて、文面もできていました。
ただ、伯父の身内ではない母は、相続人ではないため、
かなりの相続税を払う必要があるとのことで、その試算もありました。
何しろ伯母は、現役を退いたとはいえ、税理士ですので本職です。
この方法が一番お金がかからずに、土地の名義を母にすることができるのです。
この突然の申し出は、思いがけないものでしたが、もちろん母が断る理由などありません。
伯母は、長年兄弟の間に横たわり、溝を作ってしまった問題を、
自分が生きているうちに、何とか解決したいと思ったそうです。
養子である従弟からも、
将来に禍根を残さないためにも、親の代で解決してほしいと言われたとか。
そして、伯母のもうひとつの思いは、姑であるわたしの祖母の、
「この土地を横取りしようとしている」という疑いを何としても晴らしたいということでした。
「わたしがおばあちゃまに、何度そんな気持ちは毛頭ないと言っても、
聞き入れてくださらなかった。わたしは、そんなこと考えたこともなかったのに。
でも、これでわかっていただけるでしょう」
と伯母は言いました。
60年近く前のことを、伯母もずっと引き摺っていたのですね。
伯母の説得により、伯父も遺言書作成に同意して、
遺言書は公正証書として保管されることになりました。
今から6年ほど前のことです。
わたしと母は、父の墓前に、土地トラブルがようやく解決したことを報告しました。
長い長い年月がかかりましたが、本当に安堵しました。
実家を建て替える
ほぼ同時期、伯父夫婦は、自宅を賃貸に出して、自立型の高級老人ホームに入居しました。
わたしは、伯母の終活に、ただ感嘆するしかありませんでした。
さすがの母も「あの人は本当にすごい人ね」と感謝していました。
しばらくして、母が認知症だということが判明し、わたしの遠距離介護生活が始まりました。
それまでも、月に2〜3度は、実家に泊まりにきていたわたしでしたが、
それが毎週となり、かなり負担になりました。
母の認知症は、瞬く間に進行し、一人暮らしが難しい状況になりました。
母を引き取るか、それとも東京で同居するか悩みましたが、
主治医の先生やケアマネさんの意見は、
やはり知り合いの多い住み慣れた土地で暮らす方が良いのこと。
ただ、昭和30年代に建てられた実家は、何度もリフォームをしてはいますが
段差が多く、トイレは1階のみ、浴槽も深くて狭く、危険がいっぱいです。
よく母と「ビフォー&アフター」に応募しようかと言っていたほど。
悩んでいたところに、ジミ夫が実家を建て替えて同居するのはどうかと提案しました。
伯父名義の土地ではありますが、今ならできるかもしれないと、
まずは二人の妹たちに相談しました。
もし、わたしが実家を建て替えてしまったら、将来、母の相続時に、
ジミ夫の実家と同じような相続問題が出てくる可能性があるからです。
妹たちは、わたしが母と住んでくれるのなら、その方がありがたいと言いました。
土地を売って分けることができなくなってもいいか聞きましたが、
あの土地は長年伯父名義だったので、はじめから当てにしていないとのこと。
妹たちは長男の嫁で、すでに家を持っていたのも幸いでした。
次に、伯母に連絡しました。
「ネロリちゃんたちがあそこに住んでくれるなら、こんなに嬉しいことはないわ」
と言ってくれました。
伯父は認知症で、ほぼ寝たきりになっていました。
そんなわけで、ジミ夫が義母から相続したお金で、超狭小住宅ながら、
母と暮らすための、バリアフリー住宅を建てることができました。
ここまで漕ぎ着けることができたのは、本当に伯母のおかげです。
人生の終末に、欲よりもお金よりも、自分が正しいと思う道を選んだ伯母を
わたしは尊敬しています。
伯父が亡くなる
そして5月末、伯父が95歳で天寿を全うしました。
恰幅のよかった伯父が、すっかり小さくなっていて驚きましたが、
その死に顔が亡き父に似ていて、やはり兄弟なのだなと思いました。
土地トラブルが解決したおかげで、
わたしも素直な気持ちで伯父を見送ることができました。
あの世では、父の方がずっと先輩。
伯父もあまり兄貴風を吹かさず、兄弟仲良くしてもらいたいです。
伯父の死後、伯母は母への土地遺贈を含む、相続の手続きを開始しました。
色々と忙しそうな伯母ですが、「これが最後の仕事だから」と張り切っています。
本当に感謝しかありません。
長きに渡った兄弟間の土地トラブルは、今、ようやく終わろうとしています。
おわりに
旧自宅の薔薇。ブルーローズのノヴァーリス。
何とか最後まで書き切ることができました。
このほかにも、色々なエピソードがありましたが、かなり端折りました。
お読みいただいた皆様、本当にありがとうございます。
実家の土地のことは、長年頭痛の種で、
伯父が売るのも贈与も頑なに拒んだので、父の死後は諦めていました。
この先、もしかしたら母の相続で、相続トラブル第3弾が勃発するかもしれません。
今のところ、妹たちはいらないと言っていますが、
何しろジミ夫の妹の件もありますので、なるべく不公平にならないようにと思います。
ジミ夫と義妹の相続トラブルの話はこちらからどうぞ。
母が資産を持っている人ならよかったのですが、
父の死後、家のリフォームは仕方ないとして、海外旅行や買い物などの贅沢生活で
ものすごく散財してしまったので・・・。
父が亡くなって、きっと寂しかったんだと思います。
本当に仲の良い両親でしたから。
わたしも、母に似ているところが多々あるので、気をつけようと思います。
本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
相続トラブルって本当に消耗しますので、もう懲り懲りですね。
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