続・相続トラブル(前篇)〜実家の土地は伯父名義だった

ネロリ

Uターン主婦のネロリです。
いつもご訪問いただき、ありがとうございます。

昨日の記事は、大勢の皆さまにお読みいただき、共感をいただきました。
本当にありがとうございます。

危うく拗れるところだったジミ夫と義妹の仲でしたが、
「死んだ人(義父の希望)より、生きている人(義妹の希望)を大切にしよう」という
ジミ夫の決心により、なんとか丸く収まりました。

さて、今日は、わたしの実家の何十年にも渡る相続トラブルについて
書いてみたいと思います。

このことをずっと書いてみたいと思っていましたが、
うまく書ける自信がなくて、逃げ腰になっていました。
何しろ、わたしが生まれる前に始まった話ですから。

でも、双方から話を聞き、ようやく分かって来たので、書いてみようと思います。
また長くなると思いますが、お読みいただけると嬉しいです。

これまでの記事と重複する内容もありますが、ご容赦ください。

トラブルの内容

実は、わたしが今住んでいる家の土地は、5月に亡くなった伯父の名義です。
つまり他人名義の土地に、家を新築して住んでいるのです。

借りている訳ではありません。
固定資産税は伯父に払っていますが、地代は払っていません。
本来ならこの土地は、わたしの父のものになるはずでした。

なぜこんなことになっているのでしょうか。
それは、土地をめぐる相続トラブルです。


祖父が買った土地

わたしの実家の土地は、戦後、わたしの祖父が買った土地です。
祖父は職業軍人でしたが、戦時中は家族を連れて台湾に赴任していました。

その頃父は中学生、妹は幼く、伯父は士官学校を出て戦地に赴いていました。
姉もふたりいましたが、すでに結婚していました。

終戦となり、やっとの思いで引き上げて来ましたが、
恵比寿にあった自宅は、空襲で焼け、残っていませんでした。

知り合いのツテを頼って紹介されたのが、今の土地です。
祖父は恵比寿の土地を売り、60坪ほどの土地を買い、小さな平家の家を建てました。

その時に、伯父名義で土地を買ったのです。
もちろん、お金を出したのは祖父ですが、そういうことが法律で許されたのか
今となってはよくわかりません。
戦後のどさくさで、そういうことができたのでしょう。
土地は伯父名義で、家は祖父名義でした。

明治生まれの祖父にとっては、長男が家を継ぐのは当然でしたし、
相続税対策だったのでは?と、親戚から聞きました。

祖父は仕事を失い、復員してきた伯父は結核を患い、療養することになりました。
とにかく食べていかねばならず、庭は畑にして耕し、鶏を飼って卵を売ったりしていたとか。
高校生だった父も、道路工事のアルバイトなどをして、家計を助けたそうです。

お金がないので、父は奨学金を受けて大学に行きました。
大学時代も、アルバイトは続けていたそうです。

卒業後、父は公務員になりました。
転勤の多い職場でしたが、転勤先からもずっと実家に仕送りをしていたと聞きました。

その頃、ようやく伯父の病気も癒え、中堅商社に入ることができました。
士官学校同期生は、戦後、大学に行った方が多かったそうですが、
長年療養していた伯父は、すでに30歳近くなっていました。

大学を出て公務員になった父。
病気のために大学に行けず、エリート士官から民間人になった伯父。

年齢の違い、時代が変わったことなど、仕方がなかったと思いますが、
ここが、トラブルの根っこだったのだと思います。

実家の庭に家を建てる

その後、伯父と父は、2年違いで結婚しました。
ところが、次男である父には次々と子どもが生まれたのに、
長男である伯父は、子どもに恵まれませんでした。

そのことで、わたしの祖母は、ずいぶん伯母(伯父の奥さん)を責めたそうです。
この伯母こそ、このブログに度々登場するわたしが尊敬する伯母です。

祖母は、職業婦人で進歩的な伯母が嫌いで、伯母の実家はもっと嫌いでした。
そして伯父が、何かというと伯母を庇うので、ますます伯母は嫌われました。
これは、わたしの母も、伯母も、口を揃えて言っていたので事実のようです。

そんな祖母ですが、ずっと生活を支えてくれていた父にはとても感謝していました。
ジャイアン的な気質で、嫁べったりな長男よりも、
母親を大切にしてくれて、内孫(わたし)を見せてくれた優しい次男が好きだったようです。

そして、そんな祖母の胸の中に、とある不安がよぎりました。
もし、長男(伯父)が、嫁(伯母)より先に死んでしまったら、
土地は嫁のもの、そして長男夫婦には子どもがいないので、
いずれは嫁の実家のものになってしまうと。

祖母は祖父に、自宅の庭に次男(父)に家を建てさせ、
いずれは、土地半分を次男に継がせようと相談しました。
祖父もその話に乗り、二人は次男である父の転勤先に赴きました。

その時の話は、母から何度も聞きました。
突然、訪ねて来た祖父母から、東京に家を建てるよう言われ、本当に驚いたそうです。

父はもちろん断りましたが、伯父には了解を取ってあるし、
そもそも土地のお金を出したのは自分だと、祖父は言ったようです。
戦後20年近く経ち、長男が全てという祖父の考えも変わってきていたのかもしれません。

結局、祖父母の希望を受け、父は家を建てました。
お金を出したのは父でしたが、間取りなどは全部祖父母が決めたそうです。
父は仕事が忙しく、家のために東京に行く暇などなかったのです。

ちょうど家が出来上がった頃、父は東京に転勤になりました。
木の匂いが漂う、小さな新築の家がとてもうれしかったことを覚えています。
わたしは、幼稚園に上がる年でした。

この新築の家には1年半ほどしか住めず、父はまた転勤になり、
我が家は東北に引っ越すことになりました。

祖父母は古い平家を貸し、自分たちが新築の家に住むようになりました。
幼かったわたしは、長らく、東京の家は自分の家ではなく、祖父母の家だと思っていました。

伯父名義の土地に、父が家を建てた。
そして、土地を譲渡する件は、口約束だった。
これが、トラブルの原因その2です。

祖父母が亡くなって

わたしが中学生の時に、祖父が亡くなりました。
古い平家の家は、祖母が相続しました。
その時は、まだ祖母がいましたので、トラブルにはなりませんでした。

時は流れ、わたしは高校生になっていました。
何度か書いていますが、その時父は海外赴任中で、わたしは一人で日本に残り、
下宿生活をしていました。

そして、高校3年の夏休み、わたしが父の赴任先に滞在中に、
札幌にいた伯父夫婦と同居を始めたばかりの祖母が、亡くなりました。

父は仕事の関係で、帰国することができませんでした。
「親の葬式にも来れないのか」と伯父にはずいぶんと責められたそうです。

父が日本にいない間に、相続の話は進み、遺産はすべて、伯父が相続することになりました。

この頃は、まだ伯父に子どもがいないということもあり、
土地の名義に関しても、それほど拗れてはいなかったと思います。


伯父夫婦が引っ越してくる

またまた時は流れ、わたしとすぐ下の妹は結婚し、家を出ていました。
末の妹が大学生だった時でしょうか。

その頃、同じ敷地にある平屋の家は取り壊され、伯父夫婦が家を新築して住んでいました。
つまり、長男夫婦と次男一家が、隣同士で住んでいたのです。

表面上は穏やかで、仲良くしていました。

クリスマスは、わたしの実家が親戚を集めてパーティーをし、
お正月は、伯父の家にやはり親戚が集まって、宴会をしました。
きょうだい会と称して、兄弟姉妹とその配偶者も含め、温泉旅行に行ったりもしていました。

とはいえ、水面下では、ずいぶん色々な思いが蠢いていて、
母は伯母(伯父の奥さん)が嫌いでしたし、伯父は父に辛くあたることもありました。

伯父は家長という意識が強く、兄弟姉妹を仕切っていました。
ひとことで言えば、ジャイアンのような性格。
おだてていれば機嫌が良いのですが、逆らうと激怒しました、

伯父は、父に対して強烈なライバル意識を持っていて、
「あいつは上手くやりやがった」と思っていたようです。

そんな父は、次男としての分をわきまえて、伯父に逆らうことはなく、我慢していたようです。
父のそんなところが、また伯父の気に食わないところだったのかもしれません。

母はたびたび伯母の悪口を言っていましたが
わたしは、父に辛く当たる伯父はともかく、
可愛がってくれた伯母のことを、どうしても嫌いにはなれませんでした。


突然の養子縁組

そんなときに一大事件が起きました。

ある日伯父が1枚の招待状を持って、実家を訪ねて来たのです。
それは、伯父夫婦とわたしの従弟との養子縁組の披露宴の招待状でした。

従弟は、伯父や父の、末妹の次男、つまり甥っ子です。
当時は大学を出て、社会人になっていました。

伯父が従弟と養子縁組をするということは、わたしの実家が建っている土地は、
何もしなければ、従弟が相続するということです。

そんな大切なことを何の相談もなく決められ、招待状1枚を手渡されて、
さすがの父も激怒しました。

しかも、その時、母はわたしの家族と一緒に、自分の実家がある秋田県に帰省中でした。
伯父はそれを知っていて、わざわざ母がいない時に持って来たのです。

それが、伯父と父の土地を巡る長い長い戦いの始まりでした。

わたしたち家族を巻き込んだこのトラブル、
いったいどう着地するのでしょうか。


長くなってしまいましたので、続きはまた明日にいたします。
中途半端ですみません。


おわりに

neroli_688.jpg
旧自宅の薔薇。ルージュ・ピエール・ドゥ・ロンサールです。

とうとう書き始めてしまいました。
この土地トラブルで、どれほど父が消耗したかわかりません。

C型肝炎で闘病していた父が、思いのほか早くに亡くなったのも、
こういうストレスがあったからではないかと母は言っていました。

父は亡くなるまで、土地のことを心配していました。
土地というより、残される母を心配していたのだと思います。

本当に本当に大変でした。

そして、そんな伯父名義の土地に家を建ててしまったジミ夫とわたし。
トラブルの行方やいかに?(いや、他人事じゃないから)

長い記事に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
明日も続きを書く予定ですので、
最後まで見届けていただければうれしいです。


伯父との相続トラブルの続きは、こちらからどうぞ。

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