Uターン主婦のネロリです。
いつもご訪問いただき、ありがとうございます。
ワクチン副反応からの不調はまだ続いていますが、少しずつ良くなっているようです。
今週は忙しいので、早く通常モードの生活に戻りたいですが、
なかなかスッキリとはいきませんね。
相続トラブル
さて、シニアの皆様で、相続問題でお悩みの方も多いと思います。
わたしの友人や知人にも、裁判に訴えた人、兄弟姉妹と絶縁した人、
絶縁しないまでも不満でいっぱいの人など、
何のトラブルもない人の方が少ないくらいです。
金額の大小ではなく、おそらく「不公平感」が不満の原因だと思います。
我が家も、親の代から様々な相続トラブルがありました。
わたしの親の話は、長くなりそうなので、また改めて書きたいと思いますが、
今回は、ごく最近起こった、ジミ夫家の相続問題について書いてみたいと思います。
少し長くなるかもしれませんが、よろしければお付き合いください。
義父の遺言
ジミ夫の両親は地方の出身ですが、東京の企業に就職したのをきっかけに上京しました。
大正生まれの義父は、エンジニアとして働いていましたが、会社の景気が良かったおかげで
都内に70坪ほどの土地を買うことができました。
当時は社宅に住んでいたそうですが、数年後、その土地に家を新築し、引っ越しました。
地方出身で東京に家を持てたのは、義父の頑張りと義母の支えのおかげでしょう。
この家を建てるまでの苦労話は、意地悪な姑に苛められた話とともに、
義母のオハコのひとつで、よく聞かされました。
土地の代金を支払うために、子どもの預金まで下ろしたと言っていました。
義父は会社員でしたが、投資の才能があったらしく、株式投資でかなりの資産を築きました。
結婚した頃も、よく短波放送で株価の放送を聞いていたものです。
わたしの父は公務員で、お酒も飲まず、株も賭け事も一切やらない超お堅い人だったので、
株をやる人=山師・・みたいな良くない印象を持っていました。
わたしもずいぶん無知だったんですね(笑)。
私が結婚した時かなり古かった家は、義父が70代で建て直しました。
わたしの趣味ではありませんでしたが、義父のこだわりが詰まった立派な家でした。
その後、新たに墓地も買い、新潟の菩提寺から改葬しました。
義父母とは、同居とその解消(追い出された)を経て、2年ほどは疎遠だったのですが、
その頃には関係も修復されていました。
その後、リーマンショックなどでは、かなりの痛手を被ったようですが、
それでも義父が亡くなった時は、そこそこの資産がありました。
義父が、妻や子を前に病床で残したのは「土地は絶対に売るな」という言葉。
いわば遺言です。
縁もゆかりもない東京で頑張り、家を持ったことが、義父の生きた証だったのでしょう。
親世代でそういう人びとは、とても多いように感じます。
義父母との同居に失敗した話は、こちらからどうぞ。
義父の相続
義父は震災の前年、88歳で亡くなりました。
義父の死後、土地家屋は義母が相続し、
それ以外は、法律通り、義母が2分の1、ジミ夫と義妹が4分の1ずつ相続しました。
ところが、翌年に東日本大地震が起き、当時多く持っていた東電の株は紙くず同然に。
「お父さんが生きていなくてよかった」とみんなが言いました。
もし義父が生きていたら、大変なショックを受けたことでしょう。
リーマンショックの時も大損害を受けて、
短気な義父は、証券会社の担当者を電話で怒鳴りつけていました(汗)。
それでも、ジミ夫はコツコツと相続した他の株で投資を続け、
10年かけて相続した当時の8割まで取り戻したらしいです(本人談、笑)。
反対に義妹は、株は懲り懲りとほとんどの株を売却してしまったとか。
でも、そのお金で、自宅をリフォームできました。
少し話は違いますが、この義妹の行動が、わたしの母とまったく同じで、
びっくりするほどでした。いつか書きたいと思います。
義母の介護
義母は95歳まで、子どもたちの助けを借りつつ一人暮らしを続け、
施設に入っていた期間は、老健を含めて10ヶ月ほど。
介護費用は、それほどかかっていません。
それでも、義妹が中心となって、ジミ夫も毎週実家に通い、
ヘルパーの介入を嫌がる義母の世話をしていました。
家事は義妹、家や庭の管理はジミ夫と、
兄妹仲がいいので、二人で協力しあっていました。
義妹が義母の介護に熱心だったのには、理由があります。
義妹は、ご主人との結婚を反対されたことから、
昔から、義父とあまり折り合いがよくありませんでした。
義父の介護は、最初はジミ夫が一人でやっていました。
ところが、ジミ夫がウイルス性髄膜脳炎で倒れてしまい、急遽、義妹にバトンタッチすることに。
義妹は、そこで初めて自分の父親がどれほど具合が悪いのか、知ったそうです。
それ以降は、義妹も熱心に義父の介護をするようになりました。
数年後、義父は亡くなりましたが、義妹には後悔が残ったようです。
そんなわけで、残された義母の介護は、後悔のないようにやりたいと言っていました。
義母の相続
そして3年前に、義母も96歳で亡くなりました。
遺産は、家屋敷、預金、そして有価証券です。
さて、義母が亡くなった後、ジミ夫が実家を継ぐということは、
家族間の暗黙の了解で、あえて口にするまでもないという感じでした。
義父の遺言もありましたし、同居していた過去もありましたから。
そして、葬儀が終わってしばらくして、事務的な手続きを始めた頃でしょうか、
一応きちんと話をしておこうと、ジミ夫は義妹を自宅に招待しました。
私はお茶だけ出して、少し離れたところにいたのですが、
ジミ夫は、義妹に対して、土地と家屋は自分が相続し、
預金と有価証券は義妹が相続するということでいいかと聞きました。
義妹は、もともとそういう話だったし、それで構わないと答えました。
わたしは、ほっとしたのと、覚悟はしていたものの、
ジミ夫の実家に引っ越すことになるのかと、複雑な思いでした。
それでも、ジミ夫の実家とわたしの実家は同じ区内、
当時認知症で要介護2だった母の介護をする上では助かるし、
わたしの実家と違いバリアフリーなので、
将来、母の一人暮らしが難しくなったら、母を引き取ることもできると思いました。
ただ、頑丈な家ではありますが、築25年経っており、水回りは随分傷んでいました。
ジミ夫はリフォームして住もうと言ってくれましたが、
そこそこ広い家なのでリフォームにいくらかかるか考えると、不安でした。
義妹の不満
義妹との話も無事終わり、相続に関する諸々の手続きが始まりました。
そんなある日、実家から帰宅したジミ夫が浮かない顔をしています。
理由を聞くと、義母の資産状況を知った義妹が、
ジミ夫が相続する土地の評価額と、自分が相続する有価証券や預金とのあまりの差に、
不満を漏らしたということでした。「ずいぶん差があるのね」と。
そんなことは、はじめからわかっていそうな気もしますが、
義妹にしてみれば、やはり不公平感を持ったのだと思います。
わたしは、「介護を主にしたのは義妹さんなのに、これだけ相続額が違ったら
やっぱり不公平だと感じるんじゃない?」と言いました。
そしてジミ夫は、父親から言われた言葉と妹の不満の間で悩んだ末、
実家を処分して兄妹で公平に分けようと決心しました。
自分が、義父の残した家を継ぎ、墓を守るのだと頑なに思っていたジミ夫でしたが、
そのために、義妹との関係が拗れるのは嫌だと思ったのでしょう。
「親父もきっと許してくれると思う。
おふくろだって、兄妹仲良くしてほしいっていつも言っていたし」
とジミ夫は言いました。
義父の時はともかく、義母の介護は、義妹が中心になってくれたおかげで、
わたしも母の介護を続けることができたし、義妹の気持ちもよくわかるので、
義父には申し訳ないけれど、ジミ夫の決断を支持しました。
そのことを義妹の家に伝えに行ったところ、義妹は何度も
「ホントに?」「本当にお兄ちゃんはそれでいいの?」と聞いてきたそうです。
そして、とてもうれしそうだったとのこと。
ジミ夫も、ようやく安心した様子でした。
実家を処分
その後の義妹は、言い方は悪いですが、本当に浮かれていました。
実家がいくらで売れそうか、ネットで色々調べては、教えてくれました。
わたし対しても、今まで以上に優しく接してくれるようになりました。
別に皮肉で書いているわけではなく、人間ってそういうものだと思います。
もし、逆の立場だったら、わたしも同じだったと思いますし。
義妹には、結婚した子どもたちや孫もいるので、色々と援助したかったようです。
結局、ジミ夫の実家は、義妹が考えていたほど高額では売れませんでしたが、
今は、おしゃれな2件の家が建ち、若いご家族が住んでいます。
ご近所の方からは「寂しくなりますね」と残念がられましたが、
高齢者が多い地域だったので、世帯数も増え、それはそれでよかったのかなと思います。
ただ、義妹は、自分のために実家を処分することになったと罪悪感を持ったのか、
実家の解体中や、更地になった後も、「見るのが忍びない」と足を運びませんでした。
反対に、ジミ夫の方が、最後まで見届けたいと足繁く実家に通っていました。
普段は、義妹の方がしっかり者で、ジミ夫は押されているのですが、
いざというときは、やはり兄なのですね。
わたしとしては、ジミ夫の実家に住むという選択肢がなくなったので、
茨城の自宅をリフォームしたいなんて思っていました。
まさか、自分の実家を建て替えることになるとは、その時には思いませんでした。
その後の兄妹関係は、至極良好です。
さすがにお墓はジミ夫が継ぎましたが、法事の際の費用は、義妹の希望で折半です。
きっと義妹の感謝の気持ちなのでしょうね。
あのとき、ジミ夫が実家を継ぐことに拘っていたら、
今頃、ギクシャクしていたのではないかと思うと、本当によかったです。
おわりに
旧自宅の薔薇。ジュビリー・セレブレーション。
今日は、ジミ夫家の相続について書いてみました。
無事に相続手続きが完了し、めでたしめでたしのようですが、
実は、これだけでは終わりませんでした。
その後、相続税、土地譲渡税や登録免許税、印紙代、税理士費用などなど、
とんでもない額のお金を払うことになりました。
我が家は国保ですので、翌年の保険料も毎月10万円くらいに跳ね上がりました。
確定申告も税理士さんに頼み、またびっくりするほど税金を取られました。
ジミ夫は、色々調べてわかっていたようでしたが、
ようやくすべての支払いが終わったときは、ほっとしたようです。
そんなこともあり、ジミ夫は自分が死んだ後、息子が困らないように、
相続税対策を色々考えるようになったようです。
長い記事に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
相続トラブル、本当に多いですよね。
今度は、わたしの実家の数十年にわたるトラブルについて書いてみたいです。
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