Uターン主婦のネロリです。
いつもご訪問いただき、ありがとうございます。
昨日は、突然の体調不良で散々でしたので、
昨夜はいつもより早く休んで、今朝もゆっくり起きました。
それなのに、朝食後、眠くてたまらずベッドに直行。
睡眠時間は7時間近くあったはずなのに、どうしてでしょう。
しかも怖い夢を見て、うなされてしまいました(泣)。
目が覚めたら10時頃半頃でしたが、
洋物のホラー映画のような夢を見た割には、すっきり目覚め、
その後は体調もいつも通りに戻りました。
あまりに怖い夢で、しかも内容をしっかり覚えているので、
洋画の原作になるんじゃないかと思うのですが、どうかしら。
それとも、以前見た映画のイメージが夢になったのかも?
ものすごく怖がりなくせに、サスペンスやスリラー映画が好きなわたしです。
もっぱらアマゾンプライムでの鑑賞ですが。
お見合い結婚
さて、わたしの夫であるジミ夫は今年で71歳。
わたしよりも8歳年上です。
今までも、何度かジミ夫の変わり者ぶりを書いてきました。
周りからは優しい旦那様と言われ、仲のいい夫婦と思われているわたしたち。
確かに間違いではないのですが、ジミ夫とうまくやっていくのには、
ひとつ条件があります。
それは「ジミ夫を立てること」。
ジミ夫とわたしは、お見合い結婚なのですが、
わたしは初めてのお見合いだったのに対して、ジミ夫は4回目。
ジミ夫は当時32歳だったので、両親がかなり焦っていたようです。
確かに40年近く前ですし、ジミ夫の友人はほとんど既婚者で子どもを持っていました。
ただ、ジミ夫本人は、それほど結婚に熱心ではなかったらしく、
お見合いも面倒だし、結婚はやめようと思っていたそうです。
その証拠に?、わたしとのお見合いの直前に、新車のスポーツカーを購入し、
「あいつはとうとう結婚を諦めたらしい」と職場で噂が立ったとか。
わたしの方は、当時24歳。
独身の友人がほとんどで、結婚していたのはひとりだけ。
仕事も楽しくなってきたし、色々な趣味を楽しんでいた頃でした。
お見合いをしたのは、妹に相手ができ、どうも結婚しそうだという流れになって、
母が、なんとしてもわたしを先に結婚させたいと強く勧めてきたことと、
お見合いに対する興味半分でした。
周りにお見合いした人がいなかったので、
お見合いってどんな感じなんだろうと思ったのです。
最初の人は、経歴は素晴らしかったのですが、
写真を見てちょっと嫌だなと思ったので会う前に断り(すみません)
間に入っていた母の友人が「ネロリちゃんは面食いなのね」と
紹介してくれたのがジミ夫でした。
特にハンサム(死語?)ではなかったものの
「真面目そう」「おとなしそう」「地味」というのが第一印象。
会ってご飯を食べるくらいはいいかしらと思い、
お見合いすることにしました。
会ってみたら、やっぱり写真の印象通りの人でしたが、
思いのほか気に入られてしまい、
わたしも「優しいお兄さん」という感じのジミ夫に好感を持ち、
トントン拍子に話が進んで、7ヶ月後には結婚することになりました。
話が違う
そんな馴れ初めで結婚したわたしたち。
後から知ったのですが、ジミ夫がそれまでお見合いしてきた相手は、
看護師さん、小学校の先生、薬剤師さんと、
資格を持ってバリバリ働く同年代の女性だったそうです。
そして、全部ジミ夫の方からお断りしたとか。
ジミ夫は、見た目「家事や育児に協力してくれそうな優しい男性」に見えますが、
実は、なかなかの亭主関白です。
おそらく自分の育った家庭環境がそうだったので、
自然とそうなったのだと思います。
妻は夫に黙って従うべし。
家事や育児は女がするもの。
ジミ夫家は、そんな家風の家です。
当然、同世代のバリキャリな女性では、自分が主導権を握れないと思い、
わたしのような、8歳年下でちょっとアホな子を選んだのでしょう。
そんなこととはつゆ知らず、
優しい父とやりたい放題の母に育てられ
ジミ夫のことも、「なんでも許してくれる優しいお兄さん」と思って結婚したわたしは、
見た目と現実のギャップに戸惑う日々。
「お兄さん」どころか、「先生」と結婚したのでは?と思うこともありました。
おとなしくて我慢強いので、怒鳴ったりすることはまったくありませんが、
わたしのダメっぷりに呆れ顔をされると、がっかりさせてごめんなさいと思いました。
でも、ダメなわたしを「僕がいないとだめなんだな」と愛でている節もあり、
ジミ夫より前に出ず、お伺いを立てながら後ろをついていけばいいのだと学びました。
言い方は悪いですが、ご機嫌を取る方法を覚えたというのでしょうか。
「わたしにはとても無理だから、手伝って」と甘えると、
「しょうがないなあ」と言いながら、やってくれるようになりました。
新婚の頃、何の気なしにゴミ出しを頼んだら、顔色を変えて断られたことがあり、
「どうして?」と聞いたら、
「男がそんなみっともないことできない」と答えたジミ夫でしたが、
いつの間にか、ゴミ出しも率先してやってくれるようになりました。
義父はそんなジミ夫を「嫁に飼い慣らされた」と苦々しく思っていたようです。
わたしも、義父に対しても、ジミ夫作戦を実行すればよかったのですが、
あまりにへそ曲がりで気難しい人だったので、うまくできませんでした(汗)。
苦労人の義父に比べ、ジミ夫はお坊ちゃん育ちなので、
言い方は悪いですが、扱いやすかったのかも。
とはいえ、今でも料理はほぼ一切やらず、
ご飯が目の前に出るのをいつまでも待っているジミ夫を見ると、
「食器ぐらい出せよっ!」と心の中で毒づいてしまうのですが、
「なんでもいいよ」と言い、本当にどうでもいいような献立でも、
文句を言わずに食べてくれるだけでマシかもと思います。
昔は絶対的な差のあった力関係も、わたしがふてぶてしくなったことで
少しだけ縮まったような・・・。
それでも、「僕がいなくなったら、ネロリは一人で大丈夫かなあ」と
自分が先立ったら、妻が一人で生きていけないのではないかと
本気で心配しているジミ夫。
大丈夫、一人でも元気に生きていけます。
ジミ夫と違って、雑草育ちだから。
高校時代、親が海外赴任でひとり日本に残されて、
頼れる親戚も近くにいなくて、月2万の仕送り(下宿代は別)で暮らした経験は
わたしを逞しくしてくれました。
家電製品の修理も、お金がないので自分でやったりしていましたね。
洗濯機がないので、下着から何から全て手洗いでした。
お金がなくても親は海外。
連絡をする手段もなかったので、本当に大変でした。
あれを思えば、なんでもできそうです。
ただ、あの頃あった若さと健康はもうないし、
メンタルも弱っているので、体にだけは気をつけます。
そんなわけで、夫婦円満になるまでは、山あり谷ありでしたが、
ジミ夫を立てて、合わせることさえ忘れなければ、
まあまあ上手くやっていけることを学びました。
そういう夫婦って、けっこう多いのではないでしょうか。
あまりバカにされると、時々むかっとしますけどね(笑)。
貧乏下宿生活をした高校時代の話はこちら。
おわりに
夏前のハンギング。今は、暑さにやられてしおしおです。
今日は、我が家の夫婦関係について書いてみました。
今の若い人には、あり得ないだろうなあと思います。
ジミ夫みたいな人は、ダメンズ、昭和の遺物なんでしょうね(笑)。
息子はなぜかジミ夫に似ず、今風の考え方みたいです。
料理好きだし、何なら主夫やってもいいと言っていましたが、
自分の食い扶持くらいは稼ぎなさいと言いました。
そんなわたしは専業主婦。
いまだに肩身が狭い思いをしつつ、ジミ夫にぶら下がっています。
共稼ぎ時代やパート勤めをしていた頃は、社会との繋がりもあり、
多少は自立してる感があったのですが。
自分の足で立っている同世代の女性が眩しく見えます。
そして、せめて主婦として頑張らなくちゃなあと思います。
本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
コメントや応援クリック、メッセージ、いつもありがとうございます。
更新の励みになっています。
それでは、また・・・。
どれかひとつ、クリックしていただけると嬉しいです。
- 関連記事
-