忘れられない出来事〜亡き父と義母からの手紙

ネロリ

Uターン主婦のネロリです。
いつもご訪問いただき、ありがとうございます。

月命日

今日は、父の月命日なので、ジミ夫の運転でお墓参りに行って参りました。
わたしが電車で行くと言っても、車を出すから一緒に行こうと言ってくれるジミ夫に感謝です。

義父母の月命日にもお墓参りに行くので、毎月2回はお墓参りに行っています。
義父と義母は、偶然にも月命日が同じです。
義母が亡くなった時、義妹が「お父さんが呼んだのかしら」と言っていました。

そういえば、父が亡くなった時と、義母が亡くなった時に、
似たような出来事がありました。

父の手紙

父が亡くなった時、正確には、最後に救急搬送された時のことです。
ホワイトデーということで、父からハンカチと手紙が送られてきて、
ちょうどその手紙を読んでいるときに、
母から父が入院したので、すぐ来るようにとの電話があったのです。

手紙には、バレンタインデーのプレゼントのお礼と、
お父さんは元気でやっていますと書いてありました。

父はC型肝炎から肝硬変、そして肝臓がんになり、それが肺にまで転移していました。
何度も死にかけては、その度に生還していました。

どこで感染したのかは、まったく不明です。
母は、注射針からじゃないかと言っていました。

わたしが小学校5年の頃に初めて倒れ、以来、時折寝込むことがありました。
当時はC型肝炎という病気はまだ発見されておらず、
お酒も飲まない父がなぜ肝炎になったのか、母も不思議がっていました。

C型肝炎ウイルスが発見されたのが1989年だそうですが、
そこで初めて、父もC型肝炎と診断されました。

わたしが社会人になった頃からは、何度も入退院を繰り返して、
相当悪いということはわかっていましたが
あの時も、きっとまた無事に家に帰れると願っていました。

でも、父は覚悟をしていたらしく、
会いたい友人に来てもらったり、葬儀のことを色々と頼んだりしていました。
「そんな縁起でもないことやめて」と言いましたが、
お医者様からもあと数日と言われ、その通りに父は亡くなりました。

体調を崩したのが40歳くらいだったので、76歳まで生きられたのは、
ずいぶん頑張った方かもしれません。

バレンタインデーのお返しの手紙が、父の最後の手紙になりました。


義母の手紙

先日の記事で、義母が亡くなった時の話を書きましたが、
義母が倒れたと施設から電話があったのは早朝5時すぎのことでした。
まだ茨城に住んでいた時の話です。

大動脈瘤破裂で義母が急死し、葬儀社から霊柩車が差し向けられました。
そして、ジミ夫は、病院から自分の車で都内の実家に向かうことになりました。

わたしはタクシーに乗り、喪服の準備のために一人で自宅に戻りました。
何気なくポストを確認すると、何とジミ夫宛に義母からの葉書が届いていました。

入居していた施設で、リハビリの一環として書いたようで、
自分は元気だということ、コロナが収まったらまたみんなに会いたいので
それまで頑張ると書いてありました。

読んだ瞬間、涙がボロボロ流れて止まりませんでした。
新型コロナの感染が広がる前は、ジミ夫は、毎日義母の面会に行っていました。
わたしも、実家に行かない日は、義母に会いに行きました。

でも、コロナ禍のせいで面会は中止になり、
義母はきっと寂しい思いをしていただろうと思います。

義母はおとなしい人で、人付き合いが得意ではありませんでした。
東京の自宅で一人暮らしをしていたときに、義妹がデイサービスを勧めたのですが
3回ほど行っただけで、嫌だと言ってやめてしまいました。

結局、95歳の夏に倒れて入院、東京の老健を経て、
茨城の介護付き有料老人ホームに入所しました。

我が家は、義父が健在の頃、一度同居に失敗していますが
義母は、娘の自宅で同居するという考えもなかったようです。

ホームに入るとき義母は、「みんなに可愛がられるように頑張る」と言いました。
わたしはいたたまれず、義母を引き取った方がいいのか悩みました。

でも、当時すでにわたしの母が認知症で要介護2と認定され、
実家通いの日々だったので、現実的に無理でした。

そんな負い目もあって、義母の手紙に泣けてしまったのでしょうか。

自分の親でも、義理の親でも、介護や看護に対して、
本当にこれでよかったのだろうかと、後悔してしまうことはよくあるようです。

今は、毎月墓前にお参りをし、家族を守ってもらっていることへの感謝を伝え、
冥福を祈っています。

義母が亡くなった時の話はこちら。

おわりに

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今日の午後、また伯母から電話がありました。
やはり、伯父が亡くなって寂しいのでしょう。

伯父の思い出や、昔のことを1時間ほどおしゃべりした後で、
「昔のことをこうして話せるのは、もうネロリちゃんしか残っていないわ」
と言われました。

夏休みに、伯母のところに泊まりに行った時の楽しかった思い出を話すと、
伯母も覚えていたようで、本当に懐かしそうでした。
もう50年以上の前のことですが、わたしもはっきりと覚えています。
そういう思い出を共有する相手がだんだんいなくなるのは、寂しいでしょうね。

本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
今週は、母のところにも差し入れを持っていく予定です。
母の好きだった千疋屋のゼリー、覚えているかしら?

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