認知症クリニックの待合室、いつかわたしも・・・

ネロリ

Uターン主婦のネロリです。
いつもご訪問いただき、ありがとうございます。

久しぶりに、なんの予定もない日。
二日連続の病院通いで疲れていたので、今日は家でのんびりしていました。
病院って、意外に疲れますよね。

認知症クリニックの待合室

母が施設に入所したことで、母の通院もなくなったので、かなり楽になりました。
施設に入所すると、基本、主治医が変わります。

わたしも、頭ではわかっていたつもりでしたが、
「診療情報提供書を、もらってきてください」と言われて初めて、
ああ主治医が変わるんだ、今までの病院には行けないんだと気づきました。

母を自宅で介護していた頃は、内科、認知症クリニック、
歯科、皮膚科、眼科などに通っていました。
その中で、定期的に薬を出してもらっていたのは、内科と認知症の病院です。

施設や自治体にもよるかもしれませんが、「診療情報提供書」が必要とされたのは、
薬を出してもらっている病院でした。

認知症のクリニックは、神経内科でしたが、実質的に認知症の専門病院でした。
初めて母を連れて行った時には、母が一番普通で元気そうに見えましたが、
通ううちに、いつの間にか母より元気そうな方が増えました。
母の認知症の進行と、新しい患者さんが増えたことで、そんな風に感じたのだと思います。

クリニックの待合室には、さまざまな患者さんがいます。
中でも、印象的だったのは、まだ若い患者さんです。
年齢は、わたしとそう変わらないのではないでしょうか。
おそらく若年性認知症の方だと思います。

病気の影響だと思うのですが、毎回、バブル真っ盛りの頃のファッションで、
髪型はロングのソバージュヘア、高級ブランドのバッグを持っていました。
付き添って来ているのは、妹さんらしきかたで、こちらはごく普通の主婦の装い。

肩パッド入りの鮮やかなスーツを着て、白髪混じりのソバージュ。
でも、顔はどう見ても60代半ばくらいな感じです。
最初は驚きましたが、何回か見かけるうちに、すっかり慣れました。

お世話をする妹さんは、ぐずるお姉さんをうまく宥めていて、
きっと元気な頃は、素敵なお姉さんだったのだろうなあと思いました。

実の親子でも、介護しない場合があるというのに、
姉妹の介護をするなんて、なかなかできません。
わたしには、無理かなと思いつつ、いつも見ていました。

他にも、義理のお父さんをお世話していたお嫁さんが印象深いです。
よく、トイレで失敗していて、紙おむつを履き替えるのを手伝っていました。
そのお父さんは、お嫁さんを奥さんを思いこんでいる感じでした。

わたしは、入院中の父のおむつ交換はしたことがありますが、義理の父はありません。
母の着替えを手伝う時に、紙パンツを履かせることはしましたが、
(大)を失敗することは、ほとんどなかったのでその点はラクでした。

待合室で大勢の認知症の患者さんを見て、この先、母がどうなっていくのかが
わかるような気がしました。

それは、これから自分の辿る道かもしれません。
そういう意味では、母の介護をしたことはとても勉強になったし、
この先、自分が認知症になった場合の準備もしておけるかもしれないと感じます。

通院できるありがたみを知る

東京に引っ越してきて、一番よかったことは、自分で病院に行けることです。
茨城に住んでいた頃、免許のないわたしは、ジミ夫の車で病院に送ってもらっていました。

内科や歯科は、歩ける距離にいくつかあったのですが、
眼科や皮膚科は数が少なく、遠くて、しかも混んでいて大変でした。

当時は、ジミ夫も仕事をしていましたから、
わたしを病院に連れていくとなると、会社を休まなくてはなりません。
なので、タクシーを呼んで、病院に行くこともありましたし、
よほどのことがなければ、眼科や皮膚科に行くことはありませんでした。

公共交通が少ないというのは、本当に不便です。
ほとんどの主婦が免許を持っていて、車がないと生活が成り立ちません。
わたしは、病院は無理としても、たいていのところは自転車で行っていました。
免許を取ればよかったのですが、病気になったりして、取れませんでした。

今は、徒歩や電車、バスで病院に行けるので、それだけは本当に助かります。
駅前にタクシー乗り場があり、最近はアプリもあるので、
老後の通院も何とかなりそうです。

もしジミ夫に先立たれても、東京なら一人で頑張れるかなと思います。
ただ、将来施設に入ることになったなら、息子が住んでいて、費用も断然安い
茨城の方がいいかなと思ったりしています。

同居して息子の世話になる気は毛頭ありませんが、
さまざまな手続きは、息子がやらざるを得ないでしょうから。
その時は、茨城に住民票も移さなければならないかなと考えています。

介護サービスは自治体単位なので、
基本的には、その場所で住民登録していないとだめなんですよね。
そんなことも、母の介護をして初めて知ったわたしです。

おわりに

neroli_624.jpg
以前出かけた、千葉のドリプレ・ローズガーデンにて。
お皿に水を入れて、たくさんの花を浮かべてありました。
また行きたいなあ。

本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
自分の最期をどう迎えるか、本気で考える歳になってしまいました。
もちろん、まだまだ生きる気ではありますが、
万が一のことは、決めておかないと・・・と思います。

コメントや応援クリック、メッセージ、いつもありがとうございます。
更新の励みになっています。
それでは、また・・・。

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Comments 2

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そら

認知症クリニックへの付き添い 色んな思いがあると感じます。病気での通院付き添いとは違う 心労もありますね。お母様の急激な変化もあり 本当に辛い日々だったと思います。たくさんの経験から これからの事を考えるのも出来る様になったと プラスの思考にもなります。

話題は変わり 本当に もしかしたら 経堂の商店街や駅周辺で すれ違っていたかも知れませんね。😊 コロナの直前 小田急に久しぶりに乗り 経堂駅下車して 用事を済ませました。駅も駅周辺も 何もかも変わり 浦島太郎でした。💦 きれいに整備された様子を見て ビックリ‼️と感動でした。

暑さとコロナさえなかったら 今直ぐにでも また小田急に乗り 世田谷散歩したいです。 緑の多い世田谷は 懐かしいし 憧れます。

ネロリ
ネロリ
そらさま

そらさま、コメントありがとうございます。

認知症クリニックや、老人介護施設の中(今はコロナで入れませんが)へは、
母の介護がなかったら、足を踏み入れることはなかったと思います。
大変ではありますが、知らない世界を知ることができてよかったです。
いずれ、自分もお世話になるかもしれませんし(汗)。

経堂の駅は、本当に変わってしまいましたね。
わたしも、20年ぶりくらいに経堂駅に行った時は、本当に驚きました。

そういえば、息子は、経堂の病院で出産したんですよ(笑)。
あと、甲状腺科のあるクリニックがあるので、
橋本病と診断されたわたしは半年に1回ほど、通っています。

経堂だけでなく、小田急線の東北沢〜成城学園前間は、
地下化と高架化でガラリと変わってしまいました。
おしゃれになりましたよね。

世田谷区は、まだ武蔵野の風情が残っている場所も多く、
23区の中では、のんびりしたところかもしれませんね。

でも、銀座に歩いて行けるそらさまも、
わたしから見たら、かなり羨ましいです。