同居問題〜夫や義妹との関係にまで亀裂が

ネロリ

Uターン主婦のネロリです。
本日もご訪問いただき、ありがとうございます。

昨日の記事には、驚くほど大勢の皆様にお越しいただきました。
本当にありがとうございます。

義理の両親との同居問題は、シニアのみならず、
主婦にとっては大きな悩みなのだろうと思います。
そして、それが主に「女性にとっての悩み」になってしまうことに、
残念な気持ちになったりします。

「それは違う」と思われる男性の皆様がいらしたら、すみません。
ただ、わたしの周囲では、義理の親との関係に悩む女性が多く、
特に同居問題に関しては、それが原因で離婚に至ってしまったご夫婦もいらしたのです。

今日は、我が家がどうだったかについて、書いてみたいと思います。

義理の母との関係

昨日の記事では、主にわたしが苦手だった義父について書きました。
では、義母との関係はどうだったのでしょうか。

社宅に住んでいた新婚時代、月に何度か夫婦でジミ夫家に行っていました。
義母は、見た目はおとなしい人でしたが、我慢強く、芯は強い人だったと思います。

結婚以来、意地悪な姑に仕えてきて、とても大変だったとのこと。
96歳で亡くなる前も、姑の話になると突然覚醒したようになり、
延々と悪口を言うくらいだったので、よほどの恨みがあったのでしょう。

「わたしは、お嫁さんにひもじい思いをさせない」が義母の口癖でした。
戦後間も無くの新婚生活で、食糧難の中、
配給のお米やお砂糖をお姑さんに独り占めされたことを、恨みに思っているようでした。

20代のわたしは「なに時代錯誤なことを言っているのかしら」と
不思議に感じたものでしたが、義母は大真面目でした。

早くに親元を離れ、母の側で家事を学ぶことがなかったわたしは、
義母の手伝いをしながら、料理の基本を学びました。

義父が気難しい人だったので、義母はいつも夫の顔色を伺うような生活でした。
義父は料理が気に入らないと、文句は言わないけれど手をつけないという人で、
「お父さんに何を食べさせるか、考えるのが大変」とよく言っていました。

針仕事も得意で、息子のパジャマや幼稚園の袋物など、
洋裁が壊滅的に出来ないわたしに代わり、すべて義母が作ってくれました。
本当に感謝しかありません。

同居さえしなければ、そのまま平和に過ごせたはずなのですが、
義母との関係も、同居後、変わってしまいました。

義父はわたしに、義母に家事をさせることを許しませんでした。
義母がゴミ出しをしただけで、
「姑にゴミ出しをさせるとは何事だ」とわたしが叱られました。

義母も、軽い気持ちでゴミ出しをしたようなのですが、
夫の剣幕に、何も言えませんでした。

義母は主婦の鏡のような人でしたから、
家事を取り上げられたことに、不満を持っていました。

体調を崩したとはいえ、寝たきりというわけではなく、
入院して検査をしても、どこも悪くないのです。
後から思ったのですが、自律神経失調症だったのではないでしょうか。

家事はしないけれども、わたしが料理を始めると必ずキッチンに来るので、
なんだか見張られているようで、とても苦痛だったことを覚えています。

それ以外は、TVを見ているか、ソファで寝ているかのどちらかで、
特に趣味のなかった義母も退屈だったでしょうけれど、
家のことに振り回されるわたしも、どうして自分だけ?と思うようになりました。

義妹との関係

ある日、義妹から電話がかかってきました。
「母から、ネロリさんに台所に入れてもらえないって聞いたんだけど、本当なの?」

驚きました。義母がそんなことを言っていたとは。
もちろん否定しましたが、義妹は半信半疑のようでした。
実の母親と兄嫁だったら、当然、母親の言い分を信じますよね。

わたしは、義母が、義妹に告げ口のようなことをしていたのもショックでした。
義母は娘の同情を引きたかったのかもしれません。

そんなわけで、義妹との関係もギクシャクしてしまいました。

ジミ夫との関係

さて、そんな最悪な同居生活、その元凶となったジミ夫ですが、
今にして思えば、かなり悩んでいたようです。

最愛の母親が体調を崩し、たびたび寝込んでいたことを、ジミ夫はとても心配していました。
妻を説得し、同居することには成功しましたが、世話をするのは自分ではありません。
しかも、もともと気難しかった父親と妻が、険悪な状況になってしまいました。

ジミ夫は、だんだん帰宅時間が遅くなってきました。
夕食は、義父母とわたし、そして息子の4人で食べ、
ジミ夫は帰宅後、一人で食べることが多くなりました。

キッチンとダイニングは1階にあり、遅くに音を立てると義父に叱られるので
温め直すこともできず2階に運びました。

ジミ夫は、義父に対して従順だったので、わたしの不満も募り
この頃は、夫婦の関係もかなり悪かったです。

あの頃は、なんでわたしの味方になってくれないのだろうと思っていましたが
仕事も忙しい時期で、なるべくトラブルを起こしたくなかったのでしょう。
言い方は悪いですが、逃げていたのですね。

あの頃、わたしもジミ夫も、かなり精神的に追い詰められていました。

初めてジミ夫がわたしの味方になってくれたのは、義父に「出て行け」と言われた日でした。
わたしへの不満を口にする義父に、ジミ夫は激しく反論しました。
ふだん物静か人なので、本当に驚きました。

そして、正直、これで茨城に帰れると心底うれしかったです。

その夜、お風呂で息子から「これでお母さんも泣かなくていいね」と言われ、
幼いながらも心を痛めていたのだと、申し訳なくて泣きました。

実家との関係

ジミ夫の実家とわたしの実家は、同じ区内にあり、電車で20分くらいの距離でした。
それでも、同居中は、実家に行くことはほとんどできませんでした。
実家の方でも、遠慮していたと思います。

義父との関係が悪いことは、母には言っていました。
ある日、どうしても辛くて我慢できず、今から行ってもいいかと電話すると、
母は、ジミ夫家との関係が悪くなるから来るなと言いました。
もし、離婚する気があるのなら、帰ってきなさいと言われました。

確かに母の言葉は正しかったかもしれませんが、
最後に頼った実家の親に冷たい対応を取られ、悲しくて、ただただ泣きました。

ほんの一瞬ですが、離婚の二文字が頭をよぎりました。
今から思うと、わたしも相当メンタルが弱っていたのだと思います。

義父に絶縁宣言されたのは、そのすぐ後のことでした。

そして、今は

今日、ジミ夫と二人で、義父母の眠るお墓にお参りに行ってきました。
明日19日は、義父母の月命日なのです。

ジミ夫と息子の安寧を祈りました。
毎朝の仏壇へのお参りも、欠かしません。
あの時、あれほど荒れ狂ったわたしの心ですが、今は静かに凪いでいます。

今でも、もし同居さえしなければ、あんな思いはしなかったのにとは思います。
でも、そのせいなのか、それ以後一度としてジミ夫から「同居」という言葉が
出ることはありませんでした。

義父が体調を崩し、介護が必要になった時も、
義母が高齢のため、一人暮らしが困難になった時も、
同居しようという言葉は、ジミ夫からも義妹からも出ませんでした。

義父は短い入院生活の末、家族に看取られて亡くなり
義母は、ジミ夫が茨城に呼び寄せ、自宅近くの介護付き有料老人ホームに入所させました。
ジミ夫とわたし、そして義妹は、ほぼ毎日ホームに面会に行き、最期に立ち会うこともできました。

義父とは最後まで分かり合えませんでしたが、
義母とは、心を通わせ合い、車椅子を押しながら買い物に連れて行き、
憎き姑(笑)の話を聞き、自分のできる限りのことをやったと思うので、悔いはありません。

自分の親を看取った後のジミ夫は、わたしへの償い?なのか、
認知症で一人暮らしが困難になった母との同居を申し出てくれました。

それもまた、今度は、わたしが耐えきれずに破綻したわけですが(汗)、
義理の親との同居の大変さを、ジミ夫が身をもって感じたのは、
もしかしたらよかったのかもしれないと感じます。

あの時、同居生活がうまく行っていたら、今はどんな生活をしていたでしょうか。
たぶん、ジミ夫の実家にそのまま住み続けていたことでしょう。

義父があんなに大切にしていた家ですが、今は処分され、
おしゃれな建売住宅が2軒建っています。
今日もお墓参りの帰りに通りましたが、すっかり街並みに溶け込んでいました。

ここで同居生活をし、義父に怯えながら毎日泣いていたんだなと思うと、
不思議な心地がしました。

おわりに

neroli_528.jpg
茨城の旧自宅に植えたいたイングリッシュラベンダー。
眠れない夜は、よくラベンダー精油で芳香浴をします。


二日連続で、義父母との日々を書きました。
短くまとめるつもりが、書き始めると止まることを知らず、
またまた長文になってしまい、申し訳ありません。

どれだけ、鬱屈したものが溜まっていたのでしょうか。

でも、今は義父に対しての悪感情はありません。
もちろん、辛かった日々を忘れることはできませんが、
義父もかわいそうな人だったのだなと感じます。

ジミ夫が何不自由なく育ったのは、義父のおかげだったわけですし、
自分が経済的に苦労した分、子どもには苦労させたくないという
親心だったのだと思うと、本当に頑張ったのだと思います。

ジミ夫を育ててくれて、ありがとうございました。
安らかにおやすみくださいと思っています。

いつの日か、わたしも義父と同じお墓に入ります。
今度は仲良くできるといいのですが(笑)。

本日も最後までお付き合いいただき、感謝です。
コメントや応援クリック、メッセージも更新の励みになっています。
それでは、また・・・。

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Comments 2

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そら

イングリッシュラベンダーの癒される香りが ネロリさんの記事からも伝わってきました。私が 生まれ変わったら 義父の様な人の息子の嫁にはならないと いつも思っています。ネロリさんの同居のお話を読んで 私以上にご苦労していたとも 思いました。うちは 夫が 自分の父親を反面教師にしながら過ごしていたのに 相続問題から 父親似になった面があります。

義父は 父が要職に就き 70歳までバリバリ働いていた事に 何かとケチをつけていました。相当な妬みがありました。懸命に働いた父のおかげで うちの子供達は 資格を取る学校や留学費用など 今の職業に結びついています。本当に父には 感謝しかありません。

2人の子供達は 結婚して独立していますので 子供達夫婦が 仲が良いことが 何よりもの私の幸せなのだと思います。実の母子でも 子供達に話した事は 全て それぞれのパートナーに伝わると肝に銘じています。義理に親子関係 永遠のテーマですね。🌹

ネロリ
ネロリ
そらさま

そらさま、こんばんは。
連続コメント、ありがとうございます。

ご実家のお父様へのお舅様の妬み、とてもよくわかります。
男同士の妬みや嫉みの方が、女性より厄介だと聞いたことがあります。

わたしの父は公務員でしたので、
経済的には、ジミ夫家の方がずっと豊かでした。
にも関わらず、妬みとしか思えないようなことを言われました。
何を勘違いしていたのでしょうか。

お子様たちがご立派に育ったのは、
お父様の助けと、そらさまの愛情の賜物だったのですね。

ご結婚されて、それぞれの家庭を持たれていらっしゃること、
とてもうらやましいです。
子どもの幸せが、親にとっては何よりですよね。

>子供達に話した事は 全て それぞれのパートナーに伝わると肝に銘じています。
今は、息子が独り身なので、気軽に何でも相談していますが、
結婚したらそうもいかないですよね。
万が一(笑)、そんな日が来ることになったら、わたしも気をつけなければ。

温かいコメントを、ありがとうございます。
読んでいただいているだけでありがたいので、あまり無理せず、気が向いた時に大丈夫ですよ。
本当にありがとうございます!

  • 2022/06/19 (Sun) 22:20
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