同居失敗〜人生で一番苦手だった人

ネロリ

Uターン主婦のネロリです。
本日もご訪問いただき、ありがとうございます。

今日は、お天気になるのかなと期待していたのですが、
晴れ間が見えたのは、午後のほんの少しの時間だけでした。
明日は少しは晴れるといいな。

初めて会ったその日から

皆様は、会った瞬間に「この人、ちょっと苦手だな」と思ったことはありますでしょうか。
わたしは、人付き合いが得意ではないくせに、八方美人なところがあるので、
とりあえずは、まあまあ誰とでも会話できる方なのですが、
今まで一人だけ、会った瞬間から苦手意識をもった人がいます。

それは、ジミ夫の父親、わたしにとっての義父です。

わたしとジミ夫は、お見合い結婚です。
しかも、わたしをお見合い相手としてジミ夫に勧めたのは、義父でした。
義父の元同僚の奥様が、わたしを紹介したのです。
なので、誰から反対されることもなく、あっという間に結婚が決まりました。

お見合いは、直接本人同士が会うというカジュアルな形だったので、
ジミ夫の両親に会ったのは、お見合い後しばらく経ってのことでした。

なぜ、義父のことを苦手だなと思ったのかは、今でもわかりません。
見るからに気難しそうな人で、笑顔もなし。
穏やかで優しいジミ夫とは、まったく違う人でした。
ただ、それだけではない気がしました。

ジミ夫の母、つまり義母も、わたしの母とは違うタイプでしたが、
ごく普通の控えめな女性でした。

そして、わたしとジミ夫は、お見合いして8ヶ月という短期間で結婚しました。

わたし、嫌われてる?

わたしが義父を苦手だと感じた一番の理由、
それは、わたしが義父に気に入られていない、極端な言い方をすれば
反感・敵意のようなものを感じたからです。

反対に、わたしの実家でジミ夫は人気者でした。
父も母も、穏やかなジミ夫を大歓迎していましたし、
当時高校生だった末妹など、すっかりジミ夫に懐いて、
苦手な理数系の科目をジミ夫に教わっていたくらいです。

でも、義父はわたしを歓迎していませんでした。
そういうことって、言葉に出さずとも感じるものなのですね。

義父は、わたしだけでなく、ジミ夫の妹(義妹)のご主人ともうまく行っていませんでした。
ジミ夫の妹は、恋愛結婚だったのですが、義父は結婚に大反対だったそうです。

義弟が気に入らなかったのではなく、
娘の相手は誰でも気に入らないという、父親にありがちな感情からだったようです。

結婚を申し込みに来た娘の恋人にひどい言葉を投げつけて、
そのために義妹が激怒し、半年も父親と口を聞かなかったという話を聞きました。

義弟は、ユーモアがあってとても楽しい人。
有名な損保会社に勤務していて、生活の心配もまったくありません。
そんなお婿さんでも、義父は気に入らなかったのです。

昔ながらの頑固親父、短気で気難しくて天邪鬼、笑顔を見せることはほとんどなく、
義母も、いつも義父の顔色を伺っているような感じでした。

とはいえ、モラハラ夫というわけでもなく、
義母のことは、それなりに大切にしているように見えました。

突然の同居宣言

そんな義理の両親と、一度だけ同居したことがあります。
茨城に引っ越した後のこと、義母が体調を崩して、ジミ夫が同居を言い出したのです。

せっかく念願のマイホームを持ったばかりなのに、
夫の実家で同居するなど絶対に嫌でしたが、ジミ夫は自分一人でも行くと言います。

まだ息子も小さく、家族がバラバラに暮らすのは嫌だったので、
しぶしぶ同居することになりました。

その時に、心配して反対したのが義妹です。
「お父さんの性格知っているでしょう? 本当に大丈夫?」と言われましたが、
母親が心配でたまらないジミ夫は、聞く耳を持ちません。
自宅をそのままにして、東京に引っ越すことになりました。

家事をするのは、すべてわたし。
でも、ベテラン主婦の義母のようにはいきません。
そんな同居ですから、うまく行くはずもなく、
義父母との生活は、はじめからギクシャクしたものでした。

新しく建て替えたばかりの家ではありましたが、二世帯住宅ではなく完全同居でした。
買い物に行くにも、掃除機をかけるにもお伺いを立て、
ゴルフに行く義父のために、早起きして食事を作りました。

わたしたち家族の部屋は2階にあったのですが、
義父は、何か気に入らないことがあると、階下からジミ夫を大声で呼びつけて、
わたしへの不満を述べていました。

ジミ夫を呼ぶ義父の声が聞こえると、今度は何を言われるのだろうと思って
わたしはいつもびくびくしていました。
義母も、生きがいだった主婦としての仕事をわたしに奪われ、不満のようでした。

最終的には、2年も持たず、義父に「もう我慢できない」と、
追い出されるような形で茨城に戻りました。

親孝行のつもりで同居をしたジミ夫は、結局一人相撲を取っていたのです。
わたしも「態度が生意気だ」と面と向かって言われ、散々でした(汗)。

当時、義父母は70代半ばだったと思います。
決裂直後はジミ夫もかなり怒っており、2度と実家には行かないと言っていましたが、
たぶん2〜3年後には親と仲直りしたように思います。
よく覚えていないのは、わたしの実父の病状が悪化し、看病が大変だったからです。

義父がわたしを嫌ったわけは、わたしが生意気で苦労知らずに見えたからのようです。
昔気質の人だったので、夫を立てる控えめなお嫁さんがよかったのでしょう。

わたしからすれば、ジミ夫の方がよほど苦労知らずのお坊ちゃんだと思うのですが、
義父はわたしの見た目だけで、判断したのでしょうね。

わたしは、義父の苦労を義母やジミ夫から聞いて、ある程度知っていましたが、
義父は、わたしのことをお見合いの釣り書き程度しか知らなかったと思います。

一見、派手で華やかに見えたわたしの実家も気に入らなかったようです。
その華やかさが良くて、息子の嫁に選んだはずでしょうに。
影にどんな苦労があったかなんて、きっとわからなかったことでしょう。


わたしが父の看病でたびたび実家に行くのも、実家に帰るための方便だと思っていたらしく、
義父より10歳近く若い父が70代半ばで亡くなった時には、さすがに驚いたようです。
そして、父を亡くしてからのわたしは、どういうわけか義父が怖くなくなりました。

義父は12年前に88歳で亡くなりましたが、最後まで気難しいままでした。
それでも、わたしも歳を取ったのか、義父との関係は多少は改善しました。
ただ、最後まで心を通わせ、親しみを持つことはできませんでした。

人生で一番苦手な人

もう少し、お互いに歩み寄って、理解しようという思いがあれば、
あそこまでこじれなかったかもしれないと、今では思います。

義父が気難しい人というのは誰もが知っていたので、言い方は悪いですが、
うまく立ち回ることができていれば、よかったのかもしれません。

義妹も、母親(義母)とは仲良くしていましたが、父親とはずっと距離を置いていました。
実家に来るのはお正月だけで、いつも義母の方が義妹の家に泊まりに行っていました。

旦那様が、自分の父親を好きではないのを知っていたからだと思います。
わたしも、義父と義妹のご主人が会話しているのを見たことがありませんでした(汗)。

義父が亡くなった後、弱々しかった義母は急に元気になりました。
今まで抑えていた自分を、ようやく出せるようになったからかもしれません。

義父が亡くなって最初のお正月に、
「こんなにのんびりした正月は初めてだ」と言っていました。
その後、95歳まで一人暮らしを続けたのち、茨城の介護付き有料老人ホームに入所し、
呆けることもなく96歳で亡くなりました。

怒りっぽくて気難しくて、いつも家族から煙たがられていた義父。

ただ、身内(親戚)には、就職の口利きをしたり、保証人になったりと、
とても親身だったらしく、義父の葬儀の時に、ジミ夫の従兄弟たちが
「とても優しい伯父さんだった」と口々に言っていて、みんなで驚きました。

わたしも、息子の嫁としてではなく義父と出会っていたら、
もう少し普通に話せたのかなと思ったりもしました。

人生で一番苦手だった義父のお話でした。

おわりに

neroli_527.jpg

旧自宅の庭。薔薇は、ライラックローズという品種です。
日陰に強いヒューケラだけ、今の家に連れてきました。

今日は、とっても苦手だった義父について書いてみました。
亡くなった人は反論できないので、
自分に都合のいいように書いてしまったかもと少し反省しています。

ジミ夫と結婚したことは後悔していませんが、
まさか、父親があれほど難しい人とは思いませんでした。
でも、天邪鬼なところは、ジミ夫も義父に似ているなあと思ったりします。

昔は、義父と同じお墓に入るなんて絶対にイヤと思っていましたが、
今ではそれほどの拒否感はありません。
わたしもようやくジミ夫家の人間になったのかもしれませんね。

本日も、長文乱文で失礼しました。最後まで読んでいただき、感謝です。
いつも、コメントや応援クリック、メッセージをありがとうございます。
更新の励みになっております。
それでは、また。

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Comments 2

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そら

ネロリさんの様な心がとっても広い方が苦手だった義父様 どれだけ気難しい人だったか 想像出来ます。ネロリさんの高校時代の暮らしを 多少でも 理解していなかったのは 残念です。お嬢様育ちでも 普通経験しない苦労を サラっと書いた事 私は 尊敬していますよ。

私は 義父&義妹が ずっと苦手でした。世の中 理不尽な事が 色々あっても 生きる術を見つけ 上手くやっていく事が 当時に私は 出来ませんでした。友達には 私の実家からのサポートがあるから 私に甘えがあると言われたりしました。

特に父には 苦労や嫌な思い(義父は父にも嫌がらせ)が かなりあったと思いますが いつも 優しく私達家族を守ってくれました。勝ち気な母は 夫に 「私の娘は 特に責められることしていません。立派な女性になっています。」と 泣きながら 訴えたこともありました。母の涙を見たのは その時だけです。

明日は父の日。父の好物だったメロンをお供えします。

ネロリ
ネロリ
そらさま

そらさま、コメントありがとうございます。

いやいや、心が広いなんてとんでもないです。
わたしは、ただの承認欲求が強い人間なのだと思います(汗)。

たぶん義父に、自分を認めて欲しかったのかもしれません。
そして、義父もまた承認欲求が強い人だったのかも。
苦労人でしたから。

わたしがお嬢様育ちだったことはないです(笑)。
引っ越し貧乏で、かなりの雑草育ちです。
父と母だけは、たぶんお坊ちゃま&お嬢様育ちでした。
父の家は戦争で全てを失ってしまいましたが。

義父は、わたしの父がまずまず出世していたのが、
気に食わなかったのだと思います。
わたしが、それを鼻にかけていると思っていたのです。

そらさまも、義実家のことで辛い思いをされたのですね。
とてもよくわかります。
わたしも、義父がわたしの実家にケチをつけるようなことを言うのが
一番嫌でした。

>世の中 理不尽な事が色々あっても 生きる術を見つけ上手くやっていく事が 
>当時に私は出来ませんでした。

わたしにも、それが出来たらどんなによかったでしょう。
よく言えばまっすぐで正直ですが、悪く言えば単純でバカでした(苦笑)。
しかも、今も大して成長していないかも(汗)。

そら様のお母様が、お父様に訴えたこと、
母親としての愛情だったのでしょうね。

笑顔で暮らしている陰で、辛い思いをし、涙している方は、
案外大勢いらっしゃるのかも。

そらさまのコメントを拝見し、明日の父の日、
わたしも父の好きな花を買ってこようかなと思いました。
いつも温かいコメント、ありがとうございます。