親は海外赴任・貧乏高校生が下宿で困ったこと、失敗したこと

ネロリ

Uターン主婦のネロリです。
本日もご訪問いただき、ありがとうございます。

昨日、高校時代の下宿生活のことを書きましたが、
書きながら、色々と思い出したことがありました。

昨日の記事は、こちら。

寂しい食卓

下宿の食事は、食べ盛りの高校生にとっては、本当に寂しい内容でした。
朝食は、味噌汁(味噌の粉と刻んだネギが入っていて、それに各自でお湯を入れる)と、
生卵1個、お漬物、ご飯(おかわり自由)のみ。

今は大丈夫なのですが、当時のわたしは、生卵が食べられなくて、
いつも残していました。

わたしは、子どもの頃から、生の魚や肉、魚卵、卵が苦手。
大人になってからは、会食などで食べる機会が増え、
食べることはできるようになりましたが、自分から進んで食べることはありません。

ウニやイクラも食べられなくて、海鮮丼などは絶対に無理です。
安上がりな女です(笑)。

話が逸れてすみません。
そんなわけで、朝はご飯とお漬物とインスタント味噌汁だけ。

たまに、卵の代わりにパックの納豆の時があり、
その時だけは食べられました。

夜は、おかず一品と野菜、そしてご飯、お漬物、朝と同じインスタント味噌汁。
鯵の干物とお浸しとか、豚バラの薄切りの生姜焼き2枚ときゅうりのスライスとか、
スーパーの肉なしコロッケ1個とキャベツの千切りとか、そんな感じです。

しかも、冷め切っているので、美味しくありません。
電子レンジがまだ高級品で、どこの家にもあるという時代ではありませんでした。

男子大学生も3人いたと思うのですが、あのおかずでは足りないだろうと思います。
そのせいか、食堂で食べているのを見たことがありませんでした。

そして、わたしが一番苦手だったのが、毎週水曜日の麺の日。
インスタントラーメン(たぶんサッポロ一番のみそ味)に、
一緒に煮込まれた玉ねぎと人参が入っているものです。

これが、作りたてならまだいいのですが、作り置きなんですよね。
麺は柔らかすぎて、ブツブツ切れるし、玉ねぎと人参は絶妙な半生で、
麺の柔らかさと合わないし、食べるのが苦痛でした。

たまに冷や麦とか、焼きそば(インスタント)の日があって、
食堂に向かいながら、今日はラーメンじゃないといいなあとよく思っていました。

下宿代が安いので、食事にそれほどお金をかけられなかったのだと思いますが、
夏休みや冬休みに親元へ行く一番の楽しみは、まともな食事を食べられることでした。

困ったこと

下宿生活で困ったことは、部屋で火が使えなかったことです。
火事を出したら大変なので、仕方ないとは思いますが、
暖房は電気ストーブ限定、お湯を沸かすのは電気ポットでした。

最初の冬を迎えた時、電気ストーブを買うお金がなくて、
ストーブなしで過ごしていたら、風邪をひいて熱が出ました。
冬休みに親元に行った時に、その話をしたら、すぐに送金してくれました。

親も慣れない国で、仕事も忙しく、気がつかなかったのでしょうね。
わたしも日々の生活に追われ、手紙を書くのも面倒で、我慢していました。

今なら、ネットがあるから、こんなことはないだろうと思いますが、
当時は、海外にいる親と連絡を取るのは大変なことでした。

あと、やはり病気の時は心細かったです。
熱があっても、病院に行くことはなかったですね。
大きな病気をすることがなくて、本当に幸いでした。

学校関係では、保護者と同居していないことで、
書類関係やら、保護者面談ができないなど、多少の不便はありましたが、
学校側も事情を知っていたので、大目に見てくれていました。

学校行事では、昨日も書きましたが、
遠足の時は友人のお母様がお弁当を作ってくれました。
修学旅行も無事に行けたので、なんとかなったのでしょう(忘れた、汗)。

そういえば、家庭科のテストで、きゅうりの輪切りの実技があったのですが、
下宿の部屋で、小さなまな板と果物ナイフで練習した覚えがあります。
先生に「上手ですね」と褒められて、とても嬉しかったですね。

失敗したこと

下宿時代に、ひとつ忘れられない大失敗があります。

高校3年の時、大学受験のために大手予備校の講座を受けたくて、
親にお金を送ってもらったのはいいのですが、
銀行の袋に入れたまま、間違えて捨ててしまったのです。

確か3万円くらいだったと思います。
自分では、銀行の袋から出して、お財布に入れたつもりだったのですが、
入れていなかったのですね。

袋を捨てたのは覚えていたので、慌ててゴミ集積所に行ったのですが、
すでに収集された後でした。

あの時はものすごいショックでした。
そして、申し訳なくて親にも言えず、講習に行ったふりをしていました。

おわりに

当時、わたしの通う都立高校では、下宿している生徒はわたしだけでした。

忙しくて部活もしていなかったし、友だちも一人だけしかいなくて、
その友だちが部活で忙しい時は、おしゃべりをする相手もいなくて、
下宿の部屋でいつも孤独感を抱えていました。

そして、カミュの「異邦人」なんかを読んで、世の中を斜めに見ていました。
今でいう中二病です(笑)。
きっと寂しかったのでしょうね。

時代が違っていたら、変な宗教や学生運動の仲間にでも入ってしまっていたかも?
道を踏み外すことがなくて、よかったです。

あの頃の自分が、今のわたしを見たら、どう思うでしょう?
幸せでよかったと思うでしょうか。
それとも、あんなお婆さんになるなんて・・とガッカリするでしょうか(笑)。

もしタイムマシンがあって、高校生の自分に会えたら「大丈夫、幸せになれるよ」と、
教えてあげたいです。

2019_09_01.jpg

茨城の家の薔薇。アイスバーグという品種。最も有名な白薔薇です。

今日も長々と自分語りをしてしまいました。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。
書きながら、昔のことを思い出しました。
将来認知症になったら、このブログを読みたいと思います(笑)。

いつもコメントやメッセージ、応援クリックをありがとうございます。
このブログを始めたおかげで、狭い世界で生きていたわたしが、
ちょっとだけですが、大海を垣間見ることができるようになりました。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
それでは、また。

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Comments 2

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そら

こんにちは😃
ネロリさんの高校生時代を読んで 健気さに ジーンとなりました。
ジミ夫様も そんなネロリさんを選んだこと 見る目👀がありました。

メンタル弱めとおっしゃっていますが ネロリさんは 強く 信念の女性だと思います。
介護は 経験しなければ 分からない大変なことの連続ですから お母様のお世話で ヘトヘトになってしまったのは よく理解出来ます。

ネロリ
ネロリ
そらさま

そらさま、コメントありがとうございます。

健気なんて言っていただき、お恥ずかしいです。
ただただ無我夢中の毎日でした。
基本的に不器用なんですよね。

>メンタル弱めとおっしゃっていますが ネロリさんは 強く 信念の女性だと思います。
今から考えると、高校生の頃の方が強かったかもしれません(笑)。
若くて怖いもの知らずでしたから。
ただ、何でも突っ走るところがあるので、それで疲れちゃうんです。

>介護は 経験しなければ 分からない大変なことの連続ですから 
本当にそう思います。
人から口で偉そうに言われると「じゃあやってみたら」と思います(汗)。
介護は、育児とはまた違う大変さですねー。

わたしも、あまり無理せず頑張ります。