こんばんは、Uターン主婦のネロリです。
本日もご訪問いただき、ありがとうございます。
3ヶ月経ちました
すっかり忘れていたのですが、このブログを始めて、昨日で3ヶ月でした。
2ヶ月経った時に、3ヶ月続けられるようにと書きましたが、
無事に3ヶ月続けることができてよかったです。
読んでくださるすべての皆様、本当にありがとうございます。
日々の感情のままに綴り、あれこれとっ散らかっているブログですが、
シニア主婦の想い、生前整理、そして終活に向けてのシンプルな暮らしを
目指していきたいと思っております。
目標と現実が違うのがアレですが、生温かく見守っていただけるとありがたいです(汗)。
ブログ2ヶ月〜わたしのプロフィール
ブログを始めて、今日で2ヶ月。継続が苦手で飽きっぽいわたしが、何とか更新できているのも、訪問してくださる皆様、応援ポチをくださる皆様のおかげです。思いがけず大勢の方の目に触れて、自分でも驚いているのですが、これからも、「今日だけは頑張って更新する」を続けていけたら、細々とでも続いていくかなと思っています。今後と...
あの頃のわたし、そして母との関係
さて、はじめの頃の記事を読み返すと、
いかに自分が追い詰められていたのかが、本当によくわかります。
たった3ヶ月前のことなのに、もうずいぶん昔のようにさえ感じますが。
まだ服薬は続いていますが、年明け頃の自分に比べると、
だいぶ元気になってきたのかなと思います。
先月、福岡の末妹が来た時に、
「あの頃のお姉ちゃんは、お母さんを○すか自分が死ぬか、という感じだった」
と言われました。
「そんなに酷かった?」と聞くと
「うん、警察沙汰になる前に、お母さんを施設に入れなくちゃと思った」とのこと。
当時、母の主治医の先生からは、施設入所を勧められていましたが、
わたし自身は、まだなんとか大丈夫だと思っていました。
母を看取るのが、わたしの務めだと頑なに思い込んでいましたから。
ケアマネさん、訪問看護師さん、理学療法士さん、みんながわたしに対して
「大丈夫?」「辛くない?」「無理しないで」というのが不思議でした。
わたしと母との関係が、よほど歪に見えたのでしょうね。
確かに、わたしは母の精神的な奴隷でした。
母の面倒を見ているつもりでいて、母に支配されていたのだと思います。
カウンセラーさんにも、似たようなことを言われたことがありましたが、
母のことを悪く言われたように思い、否定した覚えがあります。
結局、母の状態がどんどん悪くなり、母とジミ夫との関係も悪化したことで
わたしもようやく母を施設に入所させることに同意しました。
その後、わたしはずっと母を施設に入所させたことを後悔し続けていたのですが、
今は、母を施設にお願いしてよかったと思っています。
一番は、母が穏やかになったこと。
明るく朗らかだった頃の母を思い出すような写真を見ると、
あの鬼の形相は夢だったのかとさえ思います。
とはいえ、今のホームでも、母にとってわたしは自慢の長女のようで、
「長女は、賢くてなんでもできる」「頼りにしている」と言っているそうです。
わたし自身も、母にずっとそう言われ続けて、その期待に応えようとしてきたのですが、
実際の自分と、母の求める長女像とのギャップに、疲れ果ててしまったのだと思います。
昔から「お母さん、わたしはお母さんが思ってるほどじゃないよ」と何度言っても
「いや、ネロリはなんでもできる子よ。お母さん信じてるから」と反論されました。
母の考えは妹たちにも伝染し、
子どもの頃から「お姉ちゃんはなんでもできる」と思われていました。
大人になって、それぞれが家庭を持っても同じでした。
「そんなことないって、普通の主婦だし」と言っても、
「いや、少なくとも、うちの姉妹の中ではお姉ちゃんが一番だから」と妹たちにも言われました。
母の刷り込みがいかにすごかったか、今更ながら驚いてしまいます。
さすがに、末妹は今回の母の件で、少し考えを変えてくれたようですが、
すぐ下の妹は、今でもわたしの顔色を伺うようなところがあります。
わたしってそんなに長女風を吹かせていたのかな、と反省したりも。
友だち関係なら、年が違っても対等に話せるのですが、
姉妹となると、小さい頃からの関係性があるから、難しいのでしょうか。
妹たちと母
わたしと母の関係も歪ですが、末妹の母に対する思いも複雑そうです。
わたしの目から見て、末妹は、母に対してずいぶん冷たいように見えました。
「一生許さない」と恨みを抱いているような言葉も聞きました。
年がいってから生まれた末っ子で、あんなに可愛がられていたのに。
わたしたち上の二人が望んでもできなかった海外留学もさせてもらい、
結婚式はハワイでと、金銭面でかなり甘やかされて育ち、羨ましく思ったこともあります。
末っ子は末っ子で、別の苦労があるのかもしれませんね。
そして、次妹は、以前から母とはうまくいっておらず、
「実家が嫌い」「お母さんの顔を見ると具合が悪くなる」と公言していました。
次妹は、ご主人がいわゆるモラハラ夫で、若い頃、何度も実家に帰っていました。
心配した父は、「離婚した方がいいんじゃないか」と妹にも言ったそうですが、
結局、離婚はしませんでした。
次妹と母の関係がよければ、もしかしたら離婚したかもしれません。
どうしてそこまで母を嫌うのか、わたしにはよくわかりませんが、
きっと妹なりの理由があるのでしょう。
母とわたしの、今
こんな風に書くと、母がずいぶんひどい人間のように思われるかもしれませんが、
ご近所での母の評判はすこぶるよく、友人も多いです。
夫婦仲もとても良くて、病気がちだった父は、いつも母に感謝していました。
父が亡くなった時は、母はひどく憔悴して、3ヶ月で10キロも痩せてしまったほど。
誰も悪人ではないと思うのに、どうしてこんな風になってしまうのでしょうか。
末妹がいうには、「お父さんがお母さんの愚痴を聞いて、防波堤になってくれてたのに、
それがなくなってしまったから、お姉ちゃんが大波を受けたんじゃない?」とのこと。
確かにそういう部分もあるかもしれません。
父という扇の要が無くなって、母も頼る人がいなくなり、
かといって一人で生きていけるほど、母は強くなかったのかもしれません。
その後の母は、海外旅行や宝石、洋服などに、随分散財しました。
わたしがちょくちょく泊まりに行ってはいたものの、きっと寂しかったのでしょうね。
お金の使い方にルーズになっていったその頃から、すでに認知症の兆候があったのかも。
今、わたしは、母が嫌いではありません。
まだ母の呪縛が解けていないだけなのかもしれませんが、やはり愛おしい存在です。
母には、笑顔で、穏やかに暮らしてほしいと願っています。
母の願うような立派な長女ではないけれど、母がそう思っていたいなら、
そう思わせておいてあげようと、最近は思うようになりました。
色々ありましたけれど、最後まで母を看取りたいと思います。
わたしが育てた薔薇。
シャリファ・アスマと、後ろはローズ・ポンパドゥール。
この季節は、切花にした薔薇の香りで、部屋の中も花園のようでした。
おわりに
今回は、ちょっと重い話になってしまいました。
すみません。
三姉妹のわたしたちですが、どういうわけか子どもは全員男の子。
何かの皮肉でしょうか(汗)。
母と娘の関係より、母と息子の関係の方が、単純かも。
まだ誰も結婚していないから、そう思っているだけで、
ここにお嫁さんが入ると、また複雑怪奇な関係になってくるのでしょうか。
末妹が、「うちに男の子がいなくてよかったよね。お母さん、すごい姑になりそうだもん」
とよく言っていました。確かに。
わたし自身も将来そうならないよう、気をつけたいです。
長い記事を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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応援ポチも、いつもありがとうございます。
こんな垂れ流しブログではありますが、ボチボチと続けていきたいと思いますので
今後ともよろしくお願いいたします。
それでは、また。
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