孤独な介護2~なんで、わたしばかり?

ネロリ

こんにちは、Uターン主婦のネロリです。
ご訪問いただきまして、ありがとうございます。

今日の東京も、降ったり止んだりの肌寒い一日でした。
うつっぽいのに、天気まで悪いと、ますます気持ちが下がってしまいます。

それでも、このブログを始めてから、
自分の心の中を綴っていることで新たな気づきがあったりして、
リハビリになっているのかなと感じます。

よく介護の話で聞くのが、
「他に兄弟姉妹がいるのに、介護者は自分だけ」ということです。

わたしの場合もそうでした。
母の介護に関して、主たる介護者、そしてキーパーソンもわたしでした。

介護関連のすべての手続き、
主治医の先生、ケアマネさん、デイサービス、訪問看護師さんなどへの対応、
支出や薬の管理、日常生活全般の手伝いや介助など、
遠距離介護していた頃から、同居しての介護まで、一人でやっていました。

わたしには妹が二人います。
3歳違いの妹が横浜に、10歳違いの妹は福岡に住んでいます。
それぞれ結婚して家庭を持っているので、
家庭中心の生活をしていて、仲が悪くもなく良くもなくという
あっさりした付き合いでした。

福岡の妹は、遠距離のうえ、受験生もいたので
はじめは、母の介護に関して、当てにはしていませんでした。
その点、横浜の妹は、わたしより実家に近く、子どももいないので、
母の介護に協力してもらいたいと思っていました。

問題は、妹が母のことを嫌っているということでした。

確かに、母は、外では社交的で人付き合いのいい人でしたが、
プライドが高く見栄っ張りで、ちょっと人を見下すような言い方をする人でした。
文句や愚痴が多くて、一緒にいてうんざりすることも多かったです。

そういう母を窘めると、母はものすごい勢いで逆切れし、
わたしもよくケンカしました。
たぶん、その頃は、もう認知症になっていたのだと思いますが、
そこまで気づきませんでした。

妹は、母の顔を見たくない、実家に行くと具合が悪くなると言います。
それでも、月に1~2度でもいいから、母の様子を見に行ってくれと頼みました。
でも、1回行って、その時も母とケンカになったらしく、
もう行きたくないと言われました。

何度か頼みましたが、断られ、
そのうち体調を崩して家から出られないと言われてしまいました。
強迫性障害とのことでした。

病気なら仕方ないと諦め、わたしがひとりで介護を担うことになりました。
最初の頃は、母の病状や、介護状況をラインで知らせていましたが、
返事はいつも「お疲れ様です。ありがとうございます」だけ。
そのうち、返事はスタンプだけになりました。

福岡の妹は、折々に母に電話してくれたり、わたしにラインをくれたりしましたが、
横浜の妹からは、母への電話もいっさいありませんでした。

病気なのはわかりますが、電話ひとつできないのだろうか?
そう思いました。

わたしもかつてパニック障害を患い、8年ほどメンタルクリニックに通っていました。
初期の頃は、乗り物に乗れないなどの広場恐怖の症状で、かなり大変でしたが、
その後、投薬治療やカウンセリング、行動療法で、普通に近い生活を送れるようになりました。
9年前には投薬も終了、寛解し、通院しなくてもよくなりました。

今でも年に1回くらい、パニック発作が起きる時があります。
そのときはもだえ苦しみますが、頓服を服用して、なんとかしのいでいます。
なので、メンタル疾患の辛さは、わたしもよく理解しているつもりです。

いくら母が嫌いでも、どうしてそこまで冷たくできるのか不思議でした。
もしかしたら、わたしにはわからない理由が何かあるのかもしれません。
でも、父が亡くなってしばらくは、妹も母と一緒にお墓参りに行ったりしていたのです。

母の介護が負担になるにつれ、「なんで、わたしばかり?」と感じるようになりました。
それでも、また手助けを断られて不愉快な思いをするくらいなら、
最初から妹はいなかったと思えばいいと、自分に言い聞かせました。

実家を建て替える話が持ち上がって、久々に電話したとき、
妹はあっさりと建て替えを認めてくれました。
「将来、土地を売って分けるとかできなくなるけど、本当にいいの?」
と聞くと「しょうがないじゃない」といいました。

まるで他人事のような言い方で、
本当に母のことはどうでもいいのかと、少し悲しくなりました。

母が骨折して救急搬送された時も、病院から慌てて送ったラインの返事は
「ご連絡ありがとうございます。お疲れ様です」だけ。
母の症状への心配など、まったくしていないようでした。

年明けに母の施設入所の話が出た時に、使い物にならなくなっていたわたしに代わって
福岡の妹が、「お姉ちゃんが大変だから電話して」と言ったらしく
数年ぶりに横浜の妹から電話がかかってきました。
それほど、わたしが掛けない限り、妹から私に電話してくることなどなかったのです。

母やわたしの心配をするでもなく、母の状態についての話を淡々と聞いていた妹でしたが、
最後に私が、
「どうしてお母さんに電話のひとつもしてあげないの? 
 いつも、どうしてるんだろうって言ってたよ」
というと、「ごめ~~ん」と一言いいました。
そのあまりの軽さに脱力し、この人には母を介護する気がゼロなんだなと感じました。

横浜の妹ではなく、福岡の妹が近くにいてくれたら、
どれほど頼りになっただろうかと、振り返って思います。

ずっと孤独な介護をしてきて、「なんでわたしばかり」と思ってきました。
親の介護に関する本に
「認知症の人も、家族も、全員が少しずつ“割を食う”のが持続可能なケア」
とありました。

母の介護に関して、今まで“割りを食って”いたのは、わたしだけ。
頑張りすぎて介護に疲弊し、夫にまで迷惑をかけてしまいました。
そんな介護が続けられるわけはなかったのです。

それでも、世の中にはわたしと同じような人が大勢いるのだろうなと思います。

母は老人ホームに入所しましたが、それで介護が終わったわけではありません。
「見えない家事」と同様に、「見えない介護」もたくさんあり、
母が生きている限り、それはまだまだ続きます。

今日は、ホームから来月の行事に関する連絡が来たので、
記入して持って行かねばなりません。
区から支給されるリハビリパンツの自己負担分の支払いも。
実家の菩提寺に、母と私の名前でお彼岸の塔婆の申し込みもしなければ。
小さなことですが、やることはたくさん。

けれども、これからは「なんで、わたしばかり?」と思わずに暮らせるかなと、
ほんの少しだけ思います。

neroli_007.jpg

近所の公園の梅。枝振りがきれい。

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zihisyuppann
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